テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[7] 吉田寛の印刷術 第3回 転写と変容(初出:会報38号)
■01:オフセット印刷へのこだわり

この「写真の会」会報38号に元村和彦さんのインタヴューが掲載されている。取材中、こんな会話があった。元村さんが初めての写真集『私の手の詩』(ロバート・フランク)を出そうとしていた1970年頃のことだ。会員が、最初からオフセット印刷でと決まっていたのですか、と問うた。元村さんの答えは、「いえ、杉浦康平さんがオフセットでいくとおっしゃったのです」だった。およそ30年前という時代を考えなければならない。

活版の力強さ、グラビアの重厚さにくらべて、オフセット印刷は軽い、薄いというイメージで見られていた。今でもそのイメージは完全には拭い切れていない。早かろう安かろうという印象のなかに、オフセット印刷はあった。そんな風潮のなかで杉浦さんは、オフセットの実力と将来性を見抜いていたのだろう。

この連載を、「吉田寛の印刷術」と名付けてはいるが、吉田寛(凸版印刷株式会社 情報・出版事業本部第二平印印刷元部長)が語るのは、オフセット印刷についてだ。18歳で入社して以来、40数年間オフセット印刷の現場だけを歩いてきたという。なぜオフセット印刷なのか。

「人間の感性が敏感に反応する技術だからですよ」

オフセット印刷は、正確にはオフセット平版印刷というべきだろう。版の凸部のインキを刷る活版(凸版)印刷、凹部のインキを刷る凹版(グラビア)印刷に対して、ほぼ平面の版で水と油の反発を利用して刷るのが平版印刷だ。インキは油の一種だからだ。その平面上の版についたインキを、円筒形に巻かれたゴムに転写し、さらに紙に刷るのがオフセットとよばれる技術である。平版印刷という発明にオフセット印刷という別の発明が組みあわされたのが、略してオフとよばれる印刷技術の総体である。

「オフセット印刷は機械と人の話しあいだ。機械により、インキなどの材料により、そして刷る人間により、同じポジフィルムからでもこれほどちがう印刷物が仕上がるのか、と思う。だからおもしろい」

版面がゴム胴に転写され、さらにそれが紙に転写される。オフセット印刷においては、「転写」がキーワードだ。刷版(印刷するための版)のアミ点が、どのくらい紙上に再現されているか。印刷は刷版のどの程度の転写を成しとげているのか。

「わたしの信念は、自分の職場は、刷版どおりのもの上げなければならない、上がるはずだということだ。そのように仕込まれてきた」

刷版がだめなら印刷はよくならない。

「オフセットの版は、原色版(凸版によるカラー印刷)やグラビアにくらべれば比較的簡単につくることができるが、本機(本番用の印刷機、あるいはその印刷そのもの)に合うものをつくるのは大変なしくみになっている。30年ほど前かな、刷版の担当者も印刷現場に入りましたよ。印刷と刷版が、ああでもないこうでもないと、いっしょにやっていた。版は悪くない、印刷がおかしいのではないか、いやそうじゃない、とよく言いあらそった」

活版もグラビア版も、金属に彫刻をほどこして版ができる。もとのデータに対してその金属板は転写といえないことはないが、やはりそれは「意訳」だろう。オフセット印刷は水と油の反発に拠っているということは、分子レベルでの精度で転写がおこなわれているということだ。刷版と印刷が転写の関係だからこそ双方の現場がしのぎを削った。

「それが時代とともにだんだん印刷優位になっていく。刷版は印刷の前工程だと。刷版の自分の仕事に対するプライドが少なくなっていくという時代の流れがある。でもほんとうはちがうよね。刷版と印刷は対等ですよ」

印刷優位になっていくことは、印刷人にとっては決してうれしいことではない。

「刷版のプライドが低くなっているのと見合って、印刷のプライドも下がった。こんな印刷を持っていったら刷版に笑われるという意識が少なくなった。昔は、なんだこんなダブったアミ点で刷りやがって、ということになった」

だが、吉田はいまでもしきりに刷版の部屋に足を運ぶ。

「刷版課は別の組織なんだが、そこへ行ってこういう趣旨でこういう版を焼き直してくれと指示をする。校正でOKが出てその通りに焼いているのに、なんでこの人間にえばられなければならないのかと、向こうは思っているはずだね。これからは、組織の壁が厚くなればなるほどそういうことはますますできにくくなるだろうね」

刷版と印刷は転写の関係にあるとはいっても、その関係は必ずしも「仲よし」の間柄ではない。

「印刷が儲からなければ儲からないほど、刷版は儲かる。なぜかというと、印刷枚数が少なくなればなるほど刷版の数は増えるから。他品種少ロットの時代では、印刷は儲からずに刷版が儲かる」

そういって吉田は笑う。

■02:さまざまな転写

印刷から工程をさらにさかのぼってみるならば、製版フィルムの転写によって刷版はつくられる。刷版は、フィルムから写真的な操作によって精密に焼き付けられた写真といってもよい。

「でも土台は製版。製版にしっかりとしてもらわなくてはならない。刷版も、基本は製版にある」

と吉田は強調する。

「オフセットは、製版を含みこんだ印刷のシステムです」

製版から刷版へ、写真技術が連鎖していく。オフセットは製版の比重が高い、というのが吉田の口癖だ。

「アミ点のでかいのと小さいのと、そのあいだをどう結ぶか」

すべての微妙な階調を生みだす源がそこにある。具体的に、『まぼろし国・満洲』について聞いた。

「満州ですか。グレー版をああしようこうしようと、山岸享子さん立ち会いで何度刷ったかわからない。このままだと、うちの工場の本機では校正刷りのようには刷れない。やっぱり校正刷りのほうがきれいですよ。それで、刷版で墨版をかなり細らせた。それでもだめで、製版に戻して直させようかとも思ったが時間がかかってどうしようもないということで、フィルムと刷版のあいだにセル(透明なフィルム状のシート)を入れてアミ点を極端にとばした。グレー版は製版のまま。墨版はかなり手を入れた。いわば製版と印刷の共同作業だね。刷りあがった結果は、ボリュームはあって玄人受けはするが、その重さが普通の人にはどう受け止められるかだね」

製版、刷版、印刷は、転写の関係で結ばれている。しかし、たがいが等号で結ばれているわけではない。

「オフセット印刷って、機械的な数値で計れないところがかならず残る。そこには人間の感性が宿らざるを得ない。本来は誰がやっても同じにしなければならないのだけれど、そうすると高品質なしごとはできない。誰がやっても同じではないところに品質の鍵があるのがおもしろい。マニュアルに命令されてそのままやるという職場にはわたしはいられない。それでは、自分は機械の一部になってしまう」

いっぽうでは、製版、刷版、印刷を等号で結んでしまおうというベクトルもある。

「印刷のばらつきを減らすにはこういう版を作ったほうがよいというのはある。いわゆる刷りやすい版というやつだね。だけど、それがその印刷物にふさわしいかはまた別の問題。反対に微妙な版になればなるほど、その日の温度によっても違うくらいに刷るのがむずかしくなる。効率か品質かの岐路にいつもわれわれは立っている」

製版、刷版、印刷が、水平の転写関係で結ばれているとすれば、校正刷りと印刷との関係には、垂直の転写関係がある。

「校正刷りと本機のちがいということでいえば、まず刷版の焼き度がちがう。だからドットゲイン(印圧、インキの粘度や盛りによって刷版上のアミ点よりも印刷されたアミ点が太る現象)がちがう。それに、校正では機械を冷やして刷っている。温度が低ければインキがひろがらないからドットゲインが少ない。校正はどうしてもOKが出やすいものを刷る傾向に走る。営業もどうしても先方に通りやすいものを要求する。結果的に校正至上主義になる。それで、だいたいわが社内でも校正刷るのは別会社なんですよ。そのまま印刷できないものが本機にまわってくることになる」

校正刷りが本機刷りの正確なシミュレーションという前提に立つから、色校正という作業が成り立つ。だが、その転写関係にはずれがあるのが現実だ。

「今は校正刷りが商売になっちゃった。実際に刷られてなんぼのはずなんだけどね。本機に近い校正刷りがわれわれには理想なんだけど、それでは先方のOKが出ないという現実がある。お客さんにも校正刷りと本機のちがいを営業含めて理解してもらわないとだめだ」

ひとまずずれを減らすしごとが待っている。

「われわれの出番と言えば聞こえがいいのだけれど、校正刷りのとおりに刷ろうというだけでほとんどの労力を費やされる。それでも校正刷りどおりに刷れないもののほうが多い。本来のわれわれの仕事は、校正刷りの持っているよいところをより全面に出す、つまりそれが参加ということだと思うのだが、なかなかそこまでいかない」

参加と、吉田はたびたび口にする。転写を単なる等号に終わらせまいとする意志。像や文字がもっているいきおいや美しさをより際立たせること。吉田が刷版の裏面にパラフィン紙をそっと滑りこませるように、転写の背後には変容がよりそっているようだ。かといって変容は、別物になるわけではない。転写という基準があるからこそ変容が浮かびあがるのだ。

■03:CTPに向かって

製版、刷版、印刷を等号で結んでしまおうというベクトルもあると書いたが、究極の転写技術がCTPだろう。Computer to plateの略だ。ここでいうプレートとは刷版のことだから、コンピュータ上のデジタルデータを、製版フィルムを介在させずに直接刷版を焼き付けてしまうシステムだ。

「フィルムというのは静電気の関係でどうしてもほこりを引きつける。CTPでは、欠けや汚れは劇的に減るはずだね」

むろん、CTPへの注目は汚れが少ないことだけによっているのではない。コスト削減とスピードアップが期待されている。CTPシステムは、軽印刷やその場で印刷してもらえるオンデマンド印刷などに普及のきざしを見せている。吉田は、CTPシステムで刷られたパンフレットを子細に見る。

「アミ点がきれいじゃないよね。がさつくというかむらむらしているというか、インキが余った感じがする。アミ点が切れてない。CTPのアミ点露光の原理にはまだ問題が残っている気はする」

問題を指摘したあと、こうつけ加える。

「単機能、というか需要を絞り込んでいければ、CTPが軽印刷の代わりにまず普及するだろう。なか二日で納品とかね。アートコート紙ならなか一日。耐刷能力も一、二万部はいけるしね。品質を求める印刷では、アミ点がとんだりまだまだ課題が多いので、モノクロの文字ものからじょじょに広がっていくのだろう」

CTPへの期待は、コスト削減とスピードアップだけだろうか。そうではあるまい。

「階調再現を単純に見比べると、すでにCTPのほうがなめらかだね」

CTPは、品質向上の可能性を秘めている。

「今後の印刷はフィルムレスの時代に向かい、そのなかが二つに分極化するのではないか。品質を求めるものと、言っちゃあなんだけど色が付いていればよいものと」

各工程はばらつきの発生源でもある。工程が増えれば変動の要因が多くなる。逆に、工程が減れば減るほど、調整がきかないということでもある。

「CTPでは、データ上の1%が刷版の1%のアミ点に再現されるわけだから、印刷は難しい。CTPでは刷版通りに刷ればよいはずで、やさしいように思われるが、逆に技量を問われることになる。1%のアミ点を紙に1%のアミ点として着肉させるのは大変だ。ここでも二局分解がありそうだね。色が付いていればよいCTP印刷と、あくまでも品質を要求されるCTP印刷と」

転写の背後に変容を貼りつけることに力量がいる。

「発想を変えて、実用版(本機用の刷版)に校正刷りを合わせられないものか。しかし、世の中の流れというのは不思議なものだね。そう考えていたら、CTPになるということは実用版に校正刷りを合わるということだものね。CTPでは、校正刷り用の刷版というものはあり得ない。すべてが実用版で、またそうでなければ意味がない」

スキャナー技術面から見ると、CTPのシステムでは、分解のやりかたが180度変わるだろう。どんどん入力したあとでパソコンでいじればよいということになる。

「CTPは刷版を作りだす技術だけれど、製版の延長だと考えたほうがよい気がする。印刷サイドでは調整できる範囲は減る。最終的に得たい刷りものを想定しておいて、逆算して製版せざるを得なくなる」

今までは転写の地平に変容をのせていたのだが、CTPではあらかじめ変容を転写のなかに織りこんでおかなくてはならないということだろう。

「半分名人芸みたいなかたちで刷版の裏側にパラフィン紙を敷くなどというテクニックもあるわけだが、そういう印刷の感性を製版の段階で含んでおかなければ立ち行かない時代が来るということでしょう。最終的に獲得したい刷りものをいかに想定してラインを敷くことができるか、印刷のノウハウをどういうふうにして分解・製版作業に環流できるか、そこに今後の印刷会社の生き残りがかかっている。CTPになるということは、みんな同じことが楽にできるということだが、みんなとちがうものを生みだそうと思ったらえらく力量が必要だとも言えるね」

CTPシステムでの色校正をどうするかは大きな問題だ。現在のように本番と同じオフセット印刷で校正刷りをとるのではなく、主流はカラーコピーやインクジェットなどのデジタルプロセスによって色校正をとることになるだろう。しかしそこでも、本機とのちがいは出てくるはずだ。 古い人間を自認する吉田は、印刷には印刷人が参加する要素が必ずあると言う。

「墨版とグレー版の量のバランスなど、CTPだからといって解決するわけではない課題は相変わらず残りつづける。墨版がしっかりしていない印刷物は力がなくなる。これはカラー印刷でもダブルトンなどのモノトーン印刷でも同じだね。見た目が汚い、これはどんな時代になっても決定的にだめだ」

[ 次へ>> ]