テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[6] 吉田寛の印刷術(初出:会報37号)
■04:複雑系としての印刷

印刷でまず最初に点検するのが見当だが、「つぎは墨版」だと言う。墨版ということは文字が基本ということでもある。

「文字の濃さは大事だね。文字は読まれるからね。どんなに写真が多い本でも必ず文字があるから、印刷の基本は文字をどう刷るかだ」

四色の印刷機ならば、墨インキを最初に刷る。なぜ第一胴が、墨なのか。

「刷り順の基本は、墨、アイ、アカ、キ。多色印刷機ではほぼ同時に次々とインキをのせていく。前のインキが濡れていて上からのりにくいから、面積が少ない色から刷る。絵柄の面積によっては、アカとアイを入れ替えることはある。いずれにしても、カラー写真の場合はどんな絵柄でもキの面積が大きいから最後。逆に墨は面積が小さいから、最初に刷る。昔は単色機で、前のインキが乾いた後で次のインキ刷ればよかったから、キから刷った。キは、明るいから見当が少しずれてもわからないという理由もあった。そのころの紙は質も悪くて、伸び縮みもすごかった。昭和三十年ぐらいまでかな、どうしても見当があわないとき、刷版を無理矢理ひっぱって刷ったこともあった」

ひっぱるってわかるかとたずねられる。説明してもらおう。

「刷版という金属の薄い板を胴に巻き付けるために、両端から引っ張って固定することなんだ。ひっぱっているのだから、金属板といえども伸びる」

ひっぱる、といえば絵柄を転写するゴムの胴もひっぱられていることに変わりがない。

「ブランケットのくわえとくわえ尻でわずかなむらができるのを前提にして印刷に望むか、むらがないということを信じて印刷するかではずいぶんできあがりがちがう。厳密に言えば両側からひっぱられた真ん中は、胴なかというのだけれど、沈む、つまり圧が下がる。強い印圧で全体を均等にならしてしまうのではなく軽い印圧で丹念にむらをなくしていくというのが、私の印刷方法です。でもめんどうだから、だれでもができることではないね」

話は、印圧やインキの盛りにつながっていく。

「キインキは大事。一見なんてことないように見えるけど、むずかしい。黄色で劇的に変わる。あと、墨もむずかしい。どうしてもアカ、アイに眼がいきがちだけれど、いい加減になりがちなキと墨がかえってむずかしい」

たとえば「アメリカの黄インキは赤い。パントンのインキは日本のインキより二割がた透明度が高い分、濃度がない」などの知見を織りまぜながら吉田の話はつづく。

「良い材料を使わないとダメ。ブランケットしかりです。使わないとわからない。使ってこそ言える。使っていなければ言えない。安い材料を使って、少しでも原価を下げようとはあまり思ってはいけない。材料をけちっちゃだめだ。インキは特にね。インキは、多少高くてもみんなが使いやすいものがよい。高い諸資材使って、それに見合うものが仕上がればいいんだ」

代替え品はダメだ、ほんものでなければ、とも言う。印刷物によって、セットインキを変えることがある。墨版が重要なときは、濃度の高い墨インキに切り替える。キインキでは透明度が高いインキを選ぶことがある。通常は、パイプが工場の天井を這っていて、そこから四色のインキが印刷機に供給されている。いざというときはパイプを止めて1kg缶で入れる。

「下手をするとインキ代で足がでるけれど、請求はしない。なぜなら、絵柄が小さくてインキ代が余ることがあっても代金返すわけにはいかないから、足が出たときにも請求はできない理屈だ」

連携プレーであることを強調する。

「製本でトラブルが起きないようにしっかりと刷り、そのためのインキの計算もわれわれの役割です」

インキっておかしいものだ、と実感をこめる。

「四色を刷りながらポッポッとインキの盛りをかける。盛りをプラスしてもマイナスしても見た目にあまり変わりない。そのときはわからない。乾いてみると全然ちがうから、インキっておそろしい。基本的には、インキは盛らないよりは盛ったほうがよい。紙への浸透、ドライダウンがあるからね。特に墨インキは落ちやすいんだ。キインキがいくら透明度が高いといっても、最後にキを刷ることが多いから、前のインキのドライダウンが起こると、黄色味が浮いて残ってしまうこともある」

水が絡んでいる。

「オフセット印刷では水を使う。アミ点の再現性をよくするためにも、インキのグロスを保つためにも、水をなるべく少なくするのが大事」

では、水を使わずに化学的な反撥力を応用したドライオフセット平版印刷機では理想的な刷りものが得られるのではないだろうか。

「ドライオフもずいぶん早くから手がけている。インキを盛ってボリュームを出すには、ドライオフはよいですよ。上質紙系の紙ならば、水ありでも水なしでも差がないが、コート紙やアート紙だったら効果はてきめんに出る。版そのものが、水あり平版で使用しているPS版はアミ点部分がほんの少しもちあがっているのに対して、水無し版では少しへこんでいる。だから、印圧を描けてもアミ点がつぶれない。インキが盛れるわけだね。概してドライオフはアミ点の再現性に優れているといえる」

が、いくつか問題がある。

「水がないから水と油が混じったときに起こる乳化現象が無いから、アミ点がそのまま固まる。だからざらつき残って、光沢が落ちる、それと関係するけれど、水ありは、水がインキを振りながら刷るからいいけれど、水なしはそのままだからゴーストが出やすい。ゴーストが出たときにはお手上げなのが一番の弱点かな。人間の出る幕がない、これだという技術はなかなかないんだな」

刷ったばかりのインキは濡れている。刷られた紙がどんどん積み重なっていく。大変な重量だ。裏付き防止のためにでんぷんからできているパウダーを散布しながら印刷をする。

「インキを盛るとパウダーも多く撒くのがふつう。すると、刷り上がりがざらざらする。インキを盛ってもすべすべした印刷をするのが腕の見せ所だね。でも現在では、十年前の印刷に及ばない。ほんとうに、今なんで刷れないのだろうと考えてしまう」

そういいながら、十年前の自身が刷った写真集を見ながら吉田はためいきをつく。

「機械と、あとはやはり人間だね。ということは、技術革新とは一歩離れたところで印刷する実力というのがあるということなんだろうな」

ありふれた結論だけどと前置きをしたうえで、最後は人だね、という。

「ずぼらなようでいても、私はパウダーの量からなにからなにまで完全にそろえる」

光沢が印刷では大事だからだ。

「印刷物では、仕上がりの光沢が重要だ。マットなのか、グロスなのか。グロスは刷り上がりの判定では重要だ。盛らないとグロスは出ない。インキを盛るためには、盛った結果がアミ点の正確な再現がでないといけない。盛れるハンコをつくって、機械のメインテナンスもきちんとやって、材料も良いものを使って、それではじめてインキを盛れる版ができる。インキのほうも、ドライダウンしても光沢が落ちないためにニス、それにメヂュームなどをさまざまな調合をする。超光沢のためには、超光沢ニスをインキに混ぜるのだけれど、水飴みたいにべたべたして印刷はしにくい」

印刷では数え切れない要素が複雑に関連し合っている。各要素を交通させるのがひとの読みなのだ。

「競争は必要だ。だけどコストダウンの競争ばかりでなく、ダメなものはダメだという競争もしなくちゃね」

■05:アミ点を表現する

吉田の「参加」ということばは、何度聞いても印象に残る。

「印刷は、校正刷りを参考にして製版がこしらえたアミ点をいかに再現するかにまず腐心する。だが、ここはこうしたらよりよくなるのではないか、ああしたらああなるのではないかという、刷りものにほんの少しの自分を参加させる気持ちがなければ、結果的にはよいものには仕上がらない」

「参加」は、守りでもありながら攻めでもある。守らなければならないのはまず校正刷りだ。

「校正刷りでポジフィルムのアミ点どおりに刷れていればこっちの本機でもやれる」

しかし、校正刷りと本機刷りでは、印刷工程上ちがう点がある。

「本機刷りではインキの流れがある。校正刷りにはインキの流れということはないから、それも本機と校正刷りの大きなちがいだ。本機は、責了紙と同じ刷り順で刷るのが原則だが、その刷り順が両者でちがうこともある。刷り順を変えるのなら、もういちど色校正を取り直すのが理想です」

現実はそうはいかない。

「校正機も、四色を同時に刷る胴が縦に並んだユニット型の機械で刷れれば、本機刷りとの差が少なくなる。四色校正機で刷られた色校正なら、本機でも同じように印刷できる」

校正刷りと本機刷りはちがうことをふまえたときに、攻めとしての印刷がはじまる。

「前工程の刷版は適正か、刷り上がりは色校正とくらべてどうかというのは、ルーペでまずのぞいて見なくてはならない。要は、アミ点が製版のポジフィルムに対してどこまで忠実に再現されているかです」

ポジと校正刷りを見て、印圧を計算する。校正刷りと本機刷りのちがいを埋めるのが印圧なのだ。

「アミ点が製版のポジフィルムに対してどこまで忠実に再現されているかを基準に考える限り、アミ点が太るほどはインキは盛れない。ライトも濃くなって全体がフラットになってしまいますしね。アミ点を太らせずにインキを盛るために、刷版や印圧、高濃度のインキの使用などが必要になる。印圧を低めにして高濃度のインキで刷れば、コントラストの高いぴしっとした印刷物が得られる」

インキの量と濃度はちがう。そこに印圧がからむ。

「インキを盛るためには印圧を下げなければならない。ドットゲイン(印刷されてアミ点が太ること)をいかに少なくしてインキを盛るか。そうして、結果的にアミ点の忠実な再現をめざすのが印刷人の使命だ」

しかし、インキの盛りには必ず解釈がつきまとう。

「印刷でクレームが多いのはインキの盛り。盛りすぎ、盛れてない、両方ある。いかに解釈しだいかということかな。でも、インキを盛らないで調子が弱いのは見てられないからね。もちろん、ただ盛ればよいというものではない。出ないといけないディテールがある。ハイライト、中間調、シャドウと、濃度がどんどん上がっていく」

連続しているはずのハイライト、中間調、シャドウの三つのトーンそれぞれが生きもののように動きだす。

「むずかしいのが中間調。露光を多くしてアミ点をひと回り小さくするという原理で、インキを盛れる版をつくる。明部のアミ点はもともとが小さいから1、2割は細くできるが、中間調のアミ点は少し小さくしても濃度的には効かない。中間調のアミ点中心に露光していると、ライトはどんどんとんでしまう。本機の刷版では焼きこむのを基本的にしているのには、別の理由もある。多色刷りで、前のアミ点が次の胴の圧力でどうしてもつぶれる。だからアミ点を小さめにしておく。焼きこんでアミ点を小さめにしておいて、かつインキを盛り気味にして、フィルムのアミ点の大きさを刷り上がりでいかに再現できるかが印刷の勝負です」

後工程も視界に入れる。

「PP(ポリプロピレンの表面加工)をかけることを考慮しなとダメだ。光の屈折でヒラアミなんか20パーセント近くあがってしまうことがある」

モアレが発生しないことと高精細さで注目されているFMスクリーニング(デジタルな砂目スクリーン技術の一種)では、インキの盛りの考えが全くちがうそうだ。一定の面積にどれだけアミ点があるか、その密度によって階調を表現しようとするわけだから、いきおいバランスだけの勝負となる。だから、刷版でかなりの軽焼きをしなければならない。

「営業や製版担当者が次に刷る予定だといって色校正を持ってくる。初校からのときもある。見て、刷版ではアミ点をめいっぱい出した方がよいのか、焼きこんでアミ点を細らせた方がよいのか、計算をする。刷り終えて下の階で検品をしてようやくひとつの仕事が終わる」

印刷が始まり、終わる。量ではなく質を求める。それでも、部数で刷る態度は変わってしまうことはある。

「刷り部数が多いほうが楽。予備紙に余裕があるから。少ないと、限られた予備紙のなかで、正紙を出さないといけないからね。予備紙は、ふつう10パーセント、大ロットで7パーセントもらう。調子を出すためにはある程度の予備紙がいる。ただ、予備紙率を減らすのも競争だからね。たてまえばかりいっていられないが」

印刷人が埋めなければならない溝はあちらこちらにある。

「再校・三校を要求されるのを避けて、どうしても‘うける’校正刷りをつくってしまう。その結果、アミ点再現がしにくい校正刷りがOKになってしまう。まっとうに刷ってもうまく行かない。印刷現場で困る。そういうときは、校正刷りがフィルムのアミ点をきちんと再現しているかどうかを疑ってかかる。得意先に‘うける’ものをというのは、製版もそういう傾向にあるかな。刷れないハンコが増えることになる」

わたしたちも、校正刷りと本機刷りはちがうことを理解したい。

「実用版(本機用の刷版)ではアミ点を細らせていることがある。なかにはとんでしまうアミ点もある。校正紙と首っ引きで、アミ点のあるなしにこだわるデザイナーがいる。全体を見てほしいんだけどね」

印刷は、アミ点を再現しているのではない、表現しているのだ。

■06:コミュニケーションの集積

「昨日帰ったばかりなのだけれど、アメリカ人の女性編集者が1か月この粉っぽい部屋に寝泊まりして立ち会いを続けていた。だから毛布がまだおいてある。われわれが見当もゴミも見て、そのうえでお客さんにお見せするべきなんだけど、そうもいかないのは実状だが、外国のひとは厳しいですよ。わたしの目でも見えないゴミや汚れを丹念にチェックしてから、色味の校正にはいる。それに比べると、最近の日本人は甘いね。自分の仕事なんだから、やるときはとことんやりたいね。そのくらいやらないとよいものはつくれませんよ」

刷り出し立ち会いにひとりの編集者を外国に派遣して専従させられる会社があるだろうか。どのくらい刷り出し立ち会いは重要性なのだろうか。

「刷り出し立ち会いは、うちのもののためにはしてもらったほうがよい。現場にしても、私が言うより、お客さんに言ってもらったほうが反応がちがう。最近は、なるべく自分がお客さんのところへいかないで他の人間をやる。自分が出ていったほうが話は早いとは思うが、各自がお客さんと直に接することでいろいろな勉強になる。レベルアップにつながる。お客さんは思った通りを言えばよい」

印刷はひとがやる仕事だ。

「お客さんからこれを刷ってくださいと頼まれて、引き受けた以上はやらなければ。いい加減なことはできないね」

ひととひとのコミュニケーションが始まる。

「現実的には校了ということはあり得ない。校了と責了に関していえば、インキを盛ってほしいとか何か一言でもあれば責了だね。お客さんに見せないで、社内で念校(社念という)とっていることも多いしね。先方OKと社念がちがうことがあるんだが、あくまでも先方OKを優先する。先方を無視したら絶対にダメ」

だが、言われたとおりに作業をこなしているわけではない。「お客さん」のめざしているものを理解したうえでそれを表現するのだ。

「立ち会いにこられた方がある色味を強くしたいというとき、その色味だけを引いたり足したりしていると、バランスが崩れておかしくなる。その色味に合わせて少しだけ意識的に全体も足したり引いたりする。全然ちがうのならともかく、お客さんが考え込むようなら、いいところへきている証拠なのだから、他の色も同時に調整しないとダメだ」

「お客さん」の表情も大事な情報だ。表情のうかがえない注文、意図がはっきりしない校正書き込みはつらい。同じ刷り出しでも、工場長と、若い人と、それを持っていくひとによって態度を変える写真家やデザイナーがいるが、それはもっとダメだそうだ。

「営業を通じて、この印刷はどうしたいかという意志が現場までぴしっと流れてくるかどうかが問題だ。本機でインキを盛るから、校正刷りはあっさり目でいくからという意志一致ができる。著者がこうしたいという肉声は、なかなか印刷現場には伝わらない。校正紙でしか伝わってこないことが多い。だけど、印刷現場の人間は、写真家や画家やデザイナーや得意先のところへ直接話を聞きにいくわけではないから、そういう情報は伝えてほしい」

コミュニケーションがたどり着いたものが印刷でありたい。

「立ち会いに来てなんとかなると思っても、前段階でやっておいてもらわないとできないこともある」

刷る以前の話をきちんとしていないといけないのだ。オレはウラとオモテがあるわけではない、という吉田に、デザイナーへの率直なアドバイスをもらおう。

「校正紙には、あまり書きすぎないほうがよいと思う。どうしたいかが印刷現場に端的に伝わるほうがよい。書くことで自己満足に陥ることもあるのだろうね。真っ赤に書きすぎると、校正紙の色味が見えなくなる場合もある。透明フィルムを校正紙にかぶせてそれに書いてもらうのが一番いいだろうけれど、大変だからなかなか実現しない」

それも、デザイナーと印刷人との信頼が前提だろう。

「先方からOKもらっているのだから、それ以上やることはないのだけれど、印刷を終わってからふと思っちゃう。これでいいのかなって。それで今あるポジから補色版をどうつくるかを考える」

刷り終わったものに、補色をすることがあるのだという。補色とは、足りないと思われる色味のインキを、さらに重ね刷りをすることだ。普通はごく薄い色が多いが、吉田はかなり思い切った色を補うと言う。実際に、浮世絵の画集の刷り出しを見せてもらった。補色の前後では刷り上がりが激変している。かなり濃い黄色が補色されている。先方の了解を取らずにやるのだと言う。

「クライアントから指示がなくても、だまって直せることは直してしまう。ある程度までは自分の判断でやるんですよ。補色したりもする」

それで請求もしない。クライアントは刷り上がったものを受け取るだけだ。補色したことも知らないケースもあるのではないか。

「補色版は、アカ版に補色するには、モアレに注意してアイ版からつくらなければならない。アイ版からは薄アカ版をつくるのがふつうだ。もとと光沢が変わってもいけない。メヂューム、マットニス、超光沢メヂューム……と、いろいろある薄め液で光沢の調整をする」

突然、明日の晩も会えるじゃないか、と歌謡曲の一節を口ずさむ。すぐつづける。

「何年何月何日が大事。あしたではダメなんだ」

いま、の印刷。ひと、能力、技術、集中力、紙、インキ、機械、一期一会によって刷り上げる。いまが、過去に学ぶ。現在が、未来を待つ。

「日本の製版はかちかちしちゃう。右か左か決めたがる国民性なのかな。本当になめらかな感じを日本人は好まない。まずメリハリを求める。シャープネス優先で、階調は二の次になってしまう。ぱっと見はいいけれど見飽きることになる。写真集や画集の印刷が問われる。製版の人がどのくらい印刷のことをわかっているか、これからはきびしい時代がくるね」

新しい技術のチェックも欠かさない。

「最近は、デジタル処理のカラーカンプやケミカルプルーフといわれる校正が増えてきているんだが、色味の参考にはならない。紙は白いし、見当ずれも理論上ありえないしね。あれは別物」

おかげさまで、からだが丈夫だから、という吉田にこれからの抱負を聞いてみた。

「広い世界を見てまわりたい。自分のノウハウがどの程度のものか、自分以上に印刷について知っている人間がいるだろうから、そういう人に会ってみたい」

吉田は、日本酒を特に好む。好きな銘柄は、と聞くととりたててないと言う。銘柄はなんでもよいという言葉は、どんな印刷物がきても刷り上げて見せるという自負に聞こえる。

「印刷には、まだまだ限界に挑戦する余地はある」