テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[5] 吉田寛の印刷術(初出:会報36号)
■04:

印刷でまず最初に点検するのは見当(重ね刷りの際の刷り合わせ位置)、だと語る。印刷人・吉田氏の道のりを追ってみよう。

「19歳ではいって今61歳だから、43年間、ずーっと印刷現場。朝から晩まで刷りつづけている。残念ながらどこにも行かせてもらえず、海外に行ったり技術指導に出かけたりとかもなく、ひたすら板橋で平版印刷をやってきた。入ったころ、活輪(活版輪転印刷機)はあったけれどオフ輪(平版オフセット輪転印刷機)はまだなかった。入社10年ぐらいたったころ、昭和40年ぐらいかな、立体印刷の部署が新しくできた。平版印刷に筋のはいった塩化ビニールを貼って、見る角度で浮き出して見える印刷。急速に需要が伸びるという見込みがあって、そこに移った。今の第二平版、略して二平と道をはさんだ向かい側に南一棟という建物があって、そこの二階で立体印刷をやっていた。四色機が4台、二色機が2台あった。10年近くやっていたかな。現在では、立体印刷の需要は少なくなって、専用の製版カメラもほこりをかぶっている。でも、仕事があると今の二平で刷っているんです」

立体印刷は平行した筋状に製版されていて300線だから、見当が非常にきびしい。見当のきびしさは立体印刷で思い知った。

見当とならんで印刷での点検項目は墨版だと言う。墨版ということは文字が基本ということだ。

「どんなに写真が多い本でも必ず文字があるのだから、印刷の基本は墨版で文字をどう刷るかだ」

立体印刷のあと、美術書や高級書籍といった難度の高い印刷部署が職場になる。文字との本格的な格闘が始まる。

「立体印刷の部署で10年ほど働いたあと、高級印刷ものを手がけたほうが時代の要請にあうのではないかと、当時の工場長が発案して二平にきた。向かいは三平といっていたのだけれどね」 印刷機械の回転数も品質に大きな影響を与える。 「現在の印刷機は、1分200回転。会社入りたては、60回転だった」 印刷機の回転数は、40年前にくらべると三倍以上になっているが、用紙の伸縮性とインキの着肉力が機械の高速化にかならずしも追いついてはおらず、印刷現場ではもろもろの矛盾を一手に引き受けざるをえなくなる。問題点が印刷という限定された場所に集中する。

「アミ点が製版のポジフィルムに対してどこまで忠実に再現されているかを基準に考えるかぎり、アミ点が太るほどはインキは盛れない。ライトも濃くなって全体がフラットになってしまいますしね。アミ点を太らせずにインキを盛るために、刷版や印圧、高濃度のインキの使用などが必要になる。印圧を低めにして高濃度のインキで刷れば、コントラストの高いぴしっとした印刷物が得られる」

見当や文字の鮮明度など不変の問題をかかえ、印刷機械の回転数の上昇などの変化にも対応しながら、工夫はつづく。

■05:

モノクローム印刷は、カラー印刷よりさらに狭められたフィールドでの闘いだといえるだろう。 一般商業印刷ではあれほど安定したカラー印刷ができるのに、どうしてモノクローム写真集の品質が不安定なのだろうか。

「モノクロームの二色とか三色の印刷物では、特色のグレーの色味を決めるのが大変。刷り上がったのを見る場所や時間によってもちがうし、写真のなかのグレーの面積によっても印象が変わってくる。写真一点ごとに特色の色味を変えるわけにはいかないから、印圧の調整で写真ごとに墨とグレーインキのバランスを変えていくしかない。グレーの色味の見えかたのちがいを墨インキの盛りで相殺していく。ここでもパラフィン紙の裏貼り技術が駆使される」

われわれが日常で目にする物質の最大濃度はどれくらいか、確かなことはわからない。濃度という概念の最大は10であり、誰も計測したことのない値だ。宇宙のブラックホールをさしているのかもしれないが、いずれにせよ測定不可能な値である。分解用スキャナーフイルムの露光範囲の上限は5.0〜5.5くらいだ。オフセット印刷の最大濃度は2.0〜2.3あたりである、しかし人間の目でその差を確認できるのは1.8か1.9の濃度くらいまでといわれている。絶対濃度を10とすれば、非常に薄っぺらな濃度しか実現できないはずのオフセット印刷だが、手抜きしない印刷術は数値とはかけ離れた豊潤な世界を作りだす。

「グレーのインキを調肉するのに、キ、アカ、アイのインキを混ぜてつくることがある。かと思うと、墨にアイを少し入れて、それをメジュームで延ばしてグレーを作ることもあるしね。写真集のイメージを読んで変えていくわけです。グレーは明るめに調肉して、刷りでインキを盛る。キ、アカ、アイが重なった色は一見黒く見えるけれど、やはり黒ではない。しかし、グレーを、キ、アカ、アイをベースにして調肉したほうが深みが出ることがある。アイを墨に入れたほうがよいときもあるし、グロス、光沢をどのくらい必要とするかでもちがう」

話しながら、モノクロームや白黒の世界は奥が深い、と吉田はつぶやく。墨版とグレー版のバランスを、はたして現場の何人が読めるか、二色機を稼働させている会社とすでに合理化して四色機しかない印刷会社との差が出るかもしれないとも言う。最近は、苦心のかいがあって、海外からモノクロ二色刷の引き合いが増えてきている、ともつけ加える。

『まぼろし国・満洲』のプロデュースをした山岸氏の話を思い出す。山岸が『まぼろし国・満洲』の刷り出し立ち会いをしたときのことだ。刷り上がってきた印刷物にNOを出す。普通の印刷会社では機械をいったん止めてしまうのだが、吉田はとろとろとでも機械を回しながら要望に応えようとする姿が印象に残ったそうだ。機械が止まれば、経済的な損が出る。経済的なダメージは回り回って書物そのものを襲う。損を押さえながら品質を求める。

「立ち会いに来られた方に刷り出しを見せて、ほぼOKなら機械を回します。回しながら調整していく。一回止めたら機械の調子は変わってしまいますから。印刷途中で機械を止めることはある。先方に通るか通らないかを判断して、ダメなものはダメですから」

吉田はすすんで隘路に立っている。しかし、印刷者が手も足も出ないことがある。要望がつかめないときだ。

「機械を止めるのはかまわない。完全はあり得ないけれど、お互いにものをつくる以上、ここをこうしようああしようと言う意見の一致はみたい。ダメならダメで、伝える努力はしてもらいたい。ダメの一点張りでは、ものをつくることにならない。ベタ濃度が足らないのでは、アカが弱いのでは、ここはOKだけどこっちを何とかしてほしい……など、とにかく言ってほしい。あとは何とかする。お得意さまがどうしたいのかがわかれば何とかできる自信がある。どうしたいのかがわからない、伝わらないときはどうしようもない」

■06:

吉田は、「参加」のほかに「競争」ということばもよく発する。

「印刷のおもしろさってのがあるはずなんですよ。同じ版材、同じ機械、同じインキ、同じポジを与えられて、責了紙という見本があっても、その人その人で微妙なちがいが刷りものに出てくる。たとえば、もう少し黄色があったほうがよいというひともあれば、いや黄色が少ないほうがよいというひとと。校了紙や責了紙といった参照するものがあるものの、自分しだいで極端に言うと赤くも青くも刷れる。それが面白味なんです」

自己表現なら、はじめから勝手にやればよいのだが、印刷は合わせなければならないものがあったうえで、さらにただ合わせてもダメだという世界が印刷だ。

「印刷にはどうしてコンクールがないのか。原稿がなくて、同じポジフィルムで、同じ実用版で、同じ機械、同じインキで、同じ時間内で、あとはする人間の解釈にまかせる……という競争をしてみたい。それが一番の教育になる。全くちがうものができあがるはずだ。若い人ばかりでなく、いろいろな立場のひともやってみたらよい」

吉田の言う「競争」はどこまでも開いていく。

「印刷会社はたくさんある。うちよりもよい機械持っているかもしれない。小さな工場が、うちでは買えないような高いマシンを持っていることもおおいにある。競争相手に囲まれてどうしたら勝てるか。生意気言えば、お客さまに喜んでもらえるか、良いものが仕上がったかどうかというのが大事ですよ。よし、彼らには負けないぞ、そして勝つためにはなにかをしなければならないはずだ。それは、めんどうくさがらずにひとよりも手を汚してやることだと思う」

印刷物はすべてのひとに開かれている。見たい読みたいという希望があればアクセスが可能だ。一工場で刷った印刷物は万人が見ることができる。もちろん同業者もだ。印刷物はすべてのひとに開かれる運命にある。だからこそ、フランス革命当時、「人および市民の権利宣言」が、万人が印刷する権利を有する、と謳ったのだろう。開かれているゆえに印刷物は競争だということになる。

「うちは、誰にでもざっくばらんに工場を見せてしまう。技術というのは、同じ機械、同じ版、同じインキでも、ちがったものを刷ってみせる自負だから。そういう意味でもひとを育てなければならない。どんなにコンピュータ化されても、やっぱりひとだ」

パラフィン紙を版のうしろに敷く技術があることを知っても、誰でもができる技術ではないだろう。刷り上がりに対する明瞭なイメージを持っているか。プレートの裏にパラフィン紙を入れるという正常ではないテクニックが引きおこす結果に対して責任を引き受けられるか。費やされる時間を勤務体系が支えきれるか。

「理想の印刷所を創りたいという夢はある」

競争への気概は、吉田に理想の印刷工場という夢を語らせることになる。

「どんなにむずかしくても印刷の通し代は週刊誌などとさして変わらない。むずかしいもの、手間のかかるものは少しでもよいから高くしてほしい。印刷代なんてのは微々たるものですよ。極端に言えば通し代が今の十倍の印刷工場があってもよいのではないか。そのかわりしっかりしたものを刷る」

夢は具体的に語られる。

「A倍、B全、菊半の機械が各1台、菊全が2台、とりあえず計5台あればよい。製版と印刷の現場を一体化させる。直結しなければダメ」

部屋も少しきれいにして、とつけ加えるのも忘れない。

「週刊誌や雑誌とはちがう印刷術が、これからもずーっと書籍にはあるはずだ」

と、印刷の未来も見ている吉田に、最近の製版について聞いてみよう。

「製版が最近少しおかしくなっている。危なければ少し派手目にしてしまう。先方に早くOKもらおうという製版にどうしてもなる。その結果、印刷のことを考えないで校正で百パーセントいってしまう。本機の印刷で刷れないはんこになってしまう。製版だけを考えてはダメ。印刷できる版でなければ意味がない。あと工程の印刷を信頼していないから製版で百パーセントやってしまうんだろうね」

実際私たちが眼にする製版の多くが、メカニックなカタログを見ているようだ。スキャナー分解は解像性を極限に近く上げ、オリジナル原稿ではうすらぼんやりとしか写されてない、たとえばレースのカーテンの糸組までも解像してしまう。髪の毛の一本ずつが出るのはよいがまるで針金のようだ。

「シャープネスのあまりの優先は、立体感を損なうことになるかもしれない」

吉田は印刷する立場から製版の未来を危惧する。原稿がもっているグラデーションとは別のデジタル処理されたアミ点の集合体にすぎない象が出現している。

シャープネスを追い求める社会の傾向に反して、すでに写真集を見るひとの目が変わってきているのかもしれないとも語る。

「写真集というのはなにかをはっきりと見据える目的があったが、はっきり見たくないというほうへいくのかもしれないね。露骨だからよいというのではなく、女性にうけるヌード写真集なんかも考えなければならないのかもしれない。露骨でない印刷では、かえって印刷工場の実力差が出る」

吉田は自他ともに認める酒飲みである。さきほど、「部屋も少しきれいにして」と言いながら見回した小さな部屋は吉田専用で、雑然としているが冷蔵庫とその中身は完備してある。仕事の最中でも冷えたビールを勧められる。その吉田が、土曜日と日曜日は、酒を一滴も飲まずに200坪の土地で農業に精を出しているときく。

「印刷はある程度自分でできるけれど、農業はやり直しがきかない。相反するから自分は両方やる」

印刷人は手のひとだった。

「印刷物は、さわってみるとわかることがある。ざらっとしていれば、粉が多いことがわかる。インキの盛りがよくてパウダーが多いならわかるけれど、インキの盛りが少なくてパウダーが多いのは矛盾している」

話を聞いている最中にも、機械のところまで出向いていき、また点検するべき印刷物が持ちこまれる。

「酒飲みって忙しいですよ」

と言いながら吉田は笑う。最終ランナーは忙しい。