テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[3] 山岸享子氏に聞く(初出:会報34号)
インタビューから一週間ほどたって録音テープを聞きなおす。掘り下げて聞けばよかったと思う点がかならずある。会話中には出てこなかったが、実は「非-直接」ということばが、山岸さんとの話のキーワードだったのではなかったか。

山岸享子さんをひとことで紹介するなら、写真表現をリアライズするひとといえばよいだろうか。企画し、写真を選択し、デザイン・レイアウトを決め、製版の指示をし、色校正を見、印刷に立ち会い、写真集を実現させる。同じようにして写真展を現実のものとする。例をあげれば、『まぼろし国・満洲』(江成常夫著・新潮社・1995年)を実現させた。『会報No. 32』の「写真製版を歩く──1 製版者・野口啓一氏を訪ねる」では、写真製版から見た山岸享子が登場する。最近では、『沈黙の大地、シベリア』(新正卓著・筑摩書房・1995年)も氏のしごとだ。

山岸さんとの対話でどんなときにわたしたちが「間接」を聞いたかというと、次のようなことばでだ。

「日本の写真は直接話法が主流になっているけれど」

そう山岸はいいながら、一冊の写真集を見せてくれた。"LAYERS OF LIGHT"(Dag Alveng, Ex Libris Publishers, 1995年)と題されたその本は、山岸の友人でキュレイター女性の夫が撮ったものだ。

「長いつきあいになるが、ノルウェーで商業写真をやっている彼が、こんな写真を撮っているのを知らなかった」

北欧の短い夏の光を楽しむ家族のスナップやフランスへの旅。あるいは、精神病院で夜警をしていた時期、ひと気のない治療施設を徘徊する。ガランとしたホールのクリスマス・デコレーションや拘禁ベルトの付いた椅子にそそがれるまっすぐで抑制された視線。そしてたびたび訪れるニューヨークの街頭写真もある。

「別にテーマを掲げて撮られているわけではないし、いってみれば彼の生活の断片から生まれたものでしょう。たんたんとして、てらいも雑音もない。けれどここには、こんなふうに写真とつきあえたらという、うらやましいほどの豊かな時間が写されている……」といったまま山岸は写真集に見入る。

他者にアピールすることもなく静かに自身のなかで発酵するのを待っていた写真。表現とは生のままを露呈させることではない。

「顔を撮っていることが大事だったと思う」

石内都の『1947』にふれたときの山岸のことばだ。『1947』は1947年生まれのひとびとの手と足の表情だけからなる写真集だ。顔の写真を掲載するかどうか、写真家とふたりで迷った。最後は「試みにかけてみるのはどうだろうか」ということばで写真家を説得したという。顔を撮ってないで載せないのと、顔をしっかりと撮影しながらあえて載せないのとでは、表現は大きくちがうはずだ。表現は氷山の一角であるべきだ。深く潜り、沈殿し、ほんの一部が水面から浮上する。表現は、表わすという他動詞ではなく、表われるという自動詞ではないかと思えてくる。表われるためには隠れているものがなければならない。

江成常夫『まぼろし国・満洲』が1995年の4月、新正卓『沈黙の大地、シベリア』が同年11月、ふたつの写真集が約半年のあいだに出版された。ページのどこにも対とは書いてないが、二冊を分かちがたいものとしてみる自由が読者にはあるだろう。本の版型が同じであり、デザイン・ポリシーも統一されている。ともに高い水準のモノクローム製版で仕上げられている。一般的には1インチ(約25ミリ)当たり150線か175線で製版されるが、前者は213線、後者は200線となっている。ダブルトーンの色使いや深いトーンも似ている。風景から戦争を透視する構造も通底している。両作品は山岸のプロデュースによって合同の展覧会を開いている。それぞれが独立した作品であるのはまちがいないが、二冊が交叉したところにもうひとつの世界がある。その見えない圏域は山岸のものだろう。

二冊ともが「ひとの気配に満ちた場所の写真集」だと山岸はいう。写真には縦位置や横位置、正方形もあり、すべてを無理なく一冊の本に納めようとすると、正方形に近いこの版型になる。共通点はあるが、二冊の関係はニュートラルだと強調する。『沈黙の大地、シベリア』を製作するときには、先行した『まぼろし国・満洲』を意識しなかった。参考にしたのはインキの盛りぐらいだ。二冊のちがいをこう語る。

「満州は写真のオリジナルに比較的メリハリがあるから、結果としてややコントラストに仕上がっている。シベリアは、大判で焼きも柔らかいから中間調を重要視しています」

コントラストとグラデーションという対立軸は、山岸にとって大きな意味をもつ。1950〜60年代、印刷されて写真はその表現を全うしていた。展覧会やオリジナルプリントは、写真の発表形態としては一義的ではなかった。写真イコール印刷だから、印刷にパワーが求められていた。社会に影響を与える写真集がつぎつぎに出た。写真がまだジャーナリズム中心でもあった。あらゆる写真がドキュメンタリーの内側にあり、問題意識やテーマで語られた。直接話法の時代である。

印刷でインパクトを求めるとなると、どうしてもコントラストを重視することになりがちだ。メッセージの強さ、明快さは、メリハリを求める。コントラスト偏重は、ウィリアム・クラインの影響もあったとつけくわえながら、「わたしの場合はグラデーションから入った。結局、印刷は写真の解釈の上に成り立つものであり、写真そのものも時代とともに微妙な変化をしていっている。報道メディアの場を失った写真がめざしたのは写真そのものによる自立だったし、一枚のプリントにできるだけ情報を込めようとした写真表現は、必然的にグラデーションの世界に踏み入った」と山岸はいう。山岸章二のかたわらで、アメリカ現代写真、とりわけモノクローム写真の圧倒的な力を見た山岸の眼には、問題意識やテーマの変化もさることながら、写真の流動はコントラストからグラデーションへの転回と把握されていた。17、8年前に幕を開けた自身の仕事では、印刷界や紙焼きの世界に蔓延していたコントラスト重視の転覆からはじめなければならなかった。

「写真を印刷の側から見てみると、 '60年代に作家性を確立し、今日まで力を持続している作家のオリジナルはみなグラデーションが豊かですよ」

たとえばと東松照明の名を挙げる。階調について、多くのことを世界の印刷人から学んだ。アラン・ポーターが主宰したスイスのブッヒャー社『スイスカメラ』、ダイアン・アーバス写真集など'70年代におけるアメリカの写真集のほとんどを手がけたニューヨークのラパポート社などだ。ヨーロッパとアメリカの印刷のちがいも見た。

1978年に山岸はフリードランダーの写真集『フォトグラス』を手にとる。ライカで撮影された写真の見事な階調再現に心をうたれる。

「ここまで印刷再現できると思えば写真だってちがってくる」

「その製版者が、だれあろう若き日のリチャード・ベンソンだったの」

以来、リチャード・ベンソンを印刷表現の先達として尊敬することになる。山岸はいまでも、フリードランダーのオリジナルプリントを印刷テストに使うことがある。

リチャード・ベンソンはどういう肩書きのひとなのかという問いに、名づけられないと山岸は答える。もともとは写真家で、納得する作家や美術館の写真製版から印刷までを手がける。スキャナーではなくいまでも製版カメラによって分解しているようだ。同時に写真と印刷の教育者として大学で教壇に立つ。すでにトーマス・パルマーというすぐれた教え子が育っている。リチャード・ベンソンの個展でならんでいるプリント(写真)とプリント(印刷)を見た山岸は、写真への解釈が印刷の上であざやかに抽出されているのに驚く。ベンソンの技法がそのつどちがうのにも感動するという。

紙焼きも印刷も英語にすればおなじプリントだ。カラー写真はリバーサルフィルムでの入稿が主だが、モノクローム写真では紙焼きで渡すことがほとんどだ。プリントがプリントされる。プリントの二重性。製版や印刷すべての印刷人を第二のプリンターとよんでもよい。

印刷から見れば、紙焼きプリントは水面のようだ。潜んでいるものを透視し、浮上させる。鬼海弘雄『INDIA』(みすず書房、1992年、第5回写真の会賞)のハイライトのない独特の調子についてこういう。

「もとにあるものです、もとになければやらないですよ」

印刷の力を信じながら、いっぽうでは「オリジナル・プリントにかなわない」とも語る。印画紙の像は反射光で見られはするが、透過光で見るように層の厚みが浮きあがってくる。印刷がオリジナル・プリントとわたりあおうとすると、印画紙の層に鉱脈をみつけ、作家がめざすものを強調しなければならない。あることを強調するためには別のことを犠牲にしなければならないのではないか。その行為は引き算だろうか。

「それが、わたしは足し算なの。引き算を考えたことがない」

どこかに引き算がなければ、印刷会社は大変だ。ひとつもらうかわりにみやげをひとつ渡すというバランスで仕事は流れていく。製版者・野口啓一は、山岸から「限界に挑戦してちょうだい」と何度もいわれた。

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