テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[2] LIVE PICTUREを探る(初出:会報33号)
1839年にダゲール(L.J.M. Daguerre)が写真術を発明したとき使用した感光材料(フィルムに相当するもの)のASA感度は0. 004であったと推定されている。わたしたちが日常的に使っているパッケージフィルムはASA400だから、その比は1対10万である。写真として結像・定着する行為がなんと大変だったろうか。作者である以前に科学(化学)者であることが要求された時代であった。物質が変性していく一連のシステムに精通しなければ、表現行為が完結しなかったのだ。

1993年春、シーボルト・カンファレンス(アメリカ合衆国の印刷機材展)で、ピクセル(pixcel=絵柄をつくりあげる画像単位)に依存しない画像処理を可能にしたLive Picture(ライブピクチャー)という名のソフトが発表された。ピクセルによって画像を管理するという常識を変えてしまったLive Pictureが日本で発売されてから2年近くの歳月が過ぎようとしている。先駆性に注目しわが国での総発売元となり、日本語版の開発も担当している株式会社恒陽社印刷所を訪ねた。

恒陽社は、日産自動車やソニーのポスター・カタログなどの高級印刷で知られた会社だ。デジタルスタジオ部長の石塚晃氏とグラフィック事業部の渡邊大介氏に話を聞いた。石塚さんは他社で長年カラー分解にたずさわり、渡邊さんはMacintoshひとすじだそうだ。製版・印刷とコンピュータのそれぞれのプロフェッショナルがLive Picture を日本の環境に合わせて改良を加え、普及につとめている。

「DTPの出現で、仕事の継続性が途絶えた」

石塚は、実感をこう語った。プロが積み重ねてきた画像処理の技術が、DTPというアマチュア性を生かそうとする動きに翻弄されている。

「製版・印刷技術は、DTPが出現しなくても年々低下していた。それをつぎつぎと新しいデバイスでカバーしようとしてきたが、支えきれないのが現状だろう」

渡邊が引き継いでいう。

「なぜ低下するかというと、過去にどのようにしっかりしたもの、クオリティが高いものが生みだされてきたかを知らないからではないでしょうか」

よいものとは、文字の組でもあり写真製版でもあるだろう。知らないのは誰か。現場の技術者と同時に、「お客さん」のクライアントでもあり、その印刷物を受けとる消費者でもあるだろう。DTPの出現で仕事の継続性が途絶えたと実感している人間がソフトの革新性に情熱を燃やすモチーフは、「継続性の復活」でなくてはならないだろう。Live Pictureは、プロとアマを結ぶ道具ということになる。

現在の写真術は、レンズの性能の向上を考えあわせるとダゲールにくらべて100万倍以上の感度を得て、写りすぎる、撮れすぎるという事態の前で立ちすくんでいる。さらに、デジタル化の促進である。印刷、CD-ROMなどメディアとして表現しようとするならば、写真はプロセスのどこかでデジタルデータに置き換わっている。デジタルデータと化した写真が、平面状に出力されるときにふたたびアナログ化されるとしても、それはまた別の話だ。スキャナーという高性能な大型デジタルカメラを操る「ふたりめの写真家」が前回のテーマだった。一連のプロセスに精通しながら、デジタルデータをベースにしながら、レタッチという手わざを加えていくことで写真集という世界が現われる過程を追った。

いずれ誰かの手でデジタル化されるなら、自分でデジタル化して手渡したいという写真家がふえてもおかしくない。対象をデジタルスチルカメラで撮るか、ポジフィルムやネガフィルム、あるいは紙焼きをスキャナー入力するかはともかく、目的はデジタル化にあるのではなく、意図に近いものに最短最速で接近することにあるのだから、データを確認せずに入稿することはあり得ない。デジタルであるということは、修正加工が数値で保存できるということだからだ。

「色補正の責任を誰がもつのかわからない」のが現状だとも石塚はいう。CD-ROMの色管理などはたしかに混沌としている。無政府状態なら、自分でやるしかない。今日、出版・デザイン・印刷業界で進んでいるパソコンによるDTPの動向を見ると、創成期の写真術と同様なことが起きているようだ。現代の写真家は、ダゲールのように画像処理の全プロセスをみずからの手で辿るチャンスに遭遇している。

パソコンで写真画像を扱うとすれば、多くの人々は、Macintosh(マッキントッシュ)を使い、ソフトウェアは、Adobe PhotShop(アドビ社フォトショップ)というソフトを開いて作業を進めることになるだろう。問題は、ピクセルによって画像情報が管理されているという現実だ。画像処理専用のワークステーションでも同じことがいえる。

ピクセルを、物質にたとえてもいいだろう。階調と色彩の情報は、ピクセルという粒子に置き換えられる。別の物質になると思えばいい。私たちが見ているモニターにもピクセルはある。1インチ(2.54cm)角の正方形をタテ・ヨコ方向72等分した小さな正方形が、モニターの1ピクセルだ。1ピクセルにつき光の三原色のRGBそれぞれ256階調をもつのが現在の技術だ。256×256×256=16777216で、1670万色というよく眼にする数字が割りだされる。各ピクセル1670万色あれば表現に不足はないように思えるが、多くの難題を生みだす。ピクセルは拡大縮小はできる。ただしピクセルのままだ。ピクセルはたがいに孤立した点だ。拡大率が大きくなれば、ピクセルというモザイクを見ることになる。連続階調ではなく、ピクセルという非連続を見るという転倒が起きる。また、1670万色の情報をもったピクセルをいちいち表示しなければならないので、計算や表示に時間がかかる。

プロとアマを結ぶとは、一面ではプロとアマとの中間にあるということでもある。販売する側に迷いが生まれる可能性がある。模索は価格に現われる。発売当初の60万円というプライスは、明らかにプロ用途を意識したものだったが、より多くのユーザーを引きつけるために、1995年初頭に11万円台の低価格版を発売した。ようやくアマチュアにも手が届くものになった。

「消費者から意見を聞くと、Live Pictureにはフィルター機能がないという不満をきく」と、渡邊はいう。

フィルター機能は、写真にその効果をほどこすと、ジグザグ模様や魚眼レンズで撮ったようになったり、渦巻きを描いたりする。画像の遊びがアマチュアには魅力に感じられるのかもしれない。いっぽう、製版現場では、コラージュの羅列や特殊効果の見本帳まがいの「高度にクリエイティブ」な仕事を要請されることはめったになく、大半は画像修正・合成が主たる業務となる。カラーバランスを補正したり、アンダーな撮影を明るくしたり、キズを修正したりといった地味な作業がおもだろう。プロほど基本に忠実であろうとする。アマが高度な表現を求め、プロが基本性能の確実さを求めるというねじれが起きている。

ピクセルに依存しないLive Pictureとはどんな仕組みでできているのだろう。画像情報を、アイビュー(IVUE)ファイルとフィッツ(FITS)ファイルのふたつに分けて保存している。アイビュー(IVUE)ファイルは画像の情報であり、フィッツ(FITS)ファイルには、画像にどういう操作を加えたかという編集作業の履歴が保存されている。アイビュー(IVUE)ファイルは、実データと、それを縮小した四段階のデータをもっている。画面の表示に合わせた大きさのデータが表示される。だから表示が速い。実データに手を加えているのではなく、見かけだけの処理ですむので、高速だし、何度でもやり直しがきく。総称してFITS(Functional Interpolating Transformational System)テクノロジーという。

反応速度も覆い焼きをするときの感触を思わせるし、失敗してもネガにはなんの影響もなく何度でも焼き直しができるところも写真を思わせる。きくところでは、ブルーノ・デリアンとアドル・フォービレという技術者によってFITSテクノロジーはフランスで開発されたそうだ。ふたりは、製版に長くたずさわったりカメラが好きだったり、写真に近いところにいた人たちだという。

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