テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[1] 製版者・野口啓一氏を訪ねる(初出:会報32号)
取材を終えてから数日後、わたしたちは、野口がおこなったであろうと想像されるやりかたで、西川のスキャナーを使って分解製版してみた。結論を先にいえば、数学的法則に則る特性曲線(いわゆるカーブ)だけでは再現不可能であった。スキャナーからの分解ネガフィルムの一枚一枚に、野口は手を加えていった。薬品で洗うことでアミ点が痩せる。その作業をポジでもおこなう。高度にデジタル処理された情報(分解ネガ)に、従来のレタッチ技術に基づいたアナログ処理を組み合わせる。最後は絶妙な筆使いのレタッチワークを駆使して、『まぼろし国・満洲』を現実の写真集としたのである。 ベースとしたであろうと推測される分解ネガに近いものは、テスト製版で幸うじて得ることができたが、それは業界での常識とはまったく異なるものである。ダブルトーンについての解説書(例えば玄光社刊『印刷ガイドブック3応用編』58〜63ページ)の発想では再現されない。主版の墨版と副版のグレー版との量的関係が逆転しているからだ。

「スミ版は、ライトとシャドウは決めてますが中間調を思い切ってへこましてるので、シメ版(調子を引き締めるために補助する版)みたいだし、グレーはその逆です」

追試の結果得られたフィルムには、頭ではわかっているつもりでも驚く。こんなにスミ版は薄いのか、こんなにグレー版は濃いのか、というのが率直な感想だった。実線は墨版、破線はグレー版。グレー版は調子がなく、どちらかといえば平網に近く、墨版は4色分解の墨版より量が少し多い程度か、またはアクロマチック製版(インキ各色の重なりを減らして墨版で補う演算の一方法)の色版の考えに近い。

「校正がようやくOKになりました。これなら本機でもだいじょうぶよね、と念を押されました」

「刷版(印刷用の版)は、あついセロ(フィルム)かけて墨版焼きこんで」中間調をさらにへこまして、印刷にのぞんだが、「墨がどんどんあがって」、「すべてのスミ版を引き上げて焼きなおした」。 盛りに耐えるはんこを、高濃度のインキを使い、高圧力で刷ることより完成された。本職の仕上げというべきだろう。刷り上がりから前記のカーブを想像できる製版者は多くないだろう。

「納期は一週間延びた。二色でやったらこうなりますよ、本機で焼き直しですよ、といっていた」

「これを二色でやるのは常識では無理。今回は特別。いい勉強になった」

黒の迫力とどこまでもシャープだが暖かさを失わないつややかな階調、はこうして生まれた。モノクロ写真集の仕事は製版・印刷現場が燃える、そう聞かされつづけてきた。なぜカラーの写真集ではないのか。むずかしいから燃える、という予想は立つ。ふつうに考えるとカラー印刷のほうが難しいような気がする。

「モノクロはむずかしいからね。ごまかしがきかない」

モノクロには色という情報がない。白と黒だけである。いきおい、眼は階調に注がれる。トーンには、絶対的な指標がない。全体のバランスの中で生み出されるものだ。 野口さんは、ながいあいだ化粧品のポスターなどを手がけてきた。「東京工芸大学で写真を撮っていた」が、「製版関係もおもしろそうだ」と、知人の紹介でトッパンプロセスに入社する。25年前のことだ。配属されたのが10人ほどの「特別班」。新人のころ、1年ほどグラビア製版をやり、「調子・階調を勉強した」。 スキャナー全盛時代の到来が予想されるなか、先代の西村社長が、技術者集団を残しておこうと編成したのが特別班だ。名前を変えて、現在のGA(グラフィック・アーツ)製版部となる。レタッチ、スキャナーの仕事を経てきた。

「資生堂の中村誠先生にはしごかれました」

GA製版部では、雑誌などの定期ものはやってない。いわゆる商業印刷物や高級書籍と呼ばれるものがおもな仕事だ。すべてが臨時ものということになる。一点として同じ仕事はないということだ。 オフセット印刷は、写真技術の総合である。写真を撮った写真家がいる。それが写真集になるに際しては、製版・印刷をあやつるもうひとりの写真家がいる。色数、グレーの色味、インキの盛り、紙との相性などを考え、印刷担当者と連携を取りながら、分解のカーブを設定する。何千万円もするスキャナーは、大きなカメラである。ネガフィルムとポジフィルムの操作であることにはかわりがない。「もうひとりの写真家」が、野口啓一というひとりの固有名詞なのか、何人かの集合体なのかはまた別の問題だ。

「山岸さんがいってましたよ。ある意味では野口さんは独特の感性をもった作家だって」

だからダメなんだと続く。

「いったとおりにやってほしくても解釈してしまう。こういうものをまとめるには、感性が強すぎてだめかもね、と叱られました」

もうひとりの写真家が批評されている。コンピュータが発生させたアミ点を人間の目が調整していく。現場を離れ管理職になって六年経つが、いまでも一年に二、三回はレタッチをしたくなるそうだ。水洗テーブルで、筆やスポンジをあやつる。

「色校正を見ないでも、手が自然に動く」

製版者は、カラー印刷でも各色版を白黒のフィルムで見ている。白黒での階調をいかに見るかが鍵なのだ。

書を捨てよ街に出ようと言ったのは、寺山修司だ。書物のなかに世界はない、街が世界だ。思いが幾重にも錯綜した書物への挑発だ。写真集が書物のなかでも特別な存在なのは、ひとつの世界を出現させようとするからだろう。ほかに特別な書物と言えば辞書だろう。辞書もまた、ことばを収集してひとつの世界をつくろうとする。街で撮られた写真が、ふたたび書物のなかで世界をつくる。 現在の印刷会社の多くは、カラー印刷に基盤をおいている。売り上げが多いからであり、付加価値が着くからだろう。モノクロは添え物に成りかねない。蕎麦屋で言えば、もりそばが片隅に追いやられるようなものだ。白黒原稿は、減少の一歩をたどっている。白黒のスキャナー分解、製版、印刷の各現場では技術者が整理統合されつつあるのが現状だろう。新聞社の写真取材もほとんどがカラーネガで撮影される。必要に応じて白黒に焼いている。カラーでないものが、モノクロの定義だというところまできた。 品質を求められるモノクロ写真製版は、カラー写真用のスキャナーで分解される。技術者の能力は、いかにカラーの情報を捨て、モノクロ用のカーブをつくりだすかなのだ。

「最初から、常識では考えられないようなはんこをつくらなければダメかもしれないという気はしていた。少しずつはやっていたんだけど、いきなりはできなかった。最後に行き着いたのが、こういうはんこもあるんだということだった」 モノクロがむずかしい理由に、設備や現場の標準がカラーになってしまったことがあるが、そのほかに、モノクロ製版は特色(CMYB以外の特別な色)の世界だということもあげられる。カラーのCMYB各色の色はインキメーカーによって違いはある。その差は微妙なものだ。モノクロ製版のグレーの色調は、白に近いものから黒に近いグレーまで極端な違いがある。色味も、黄色味がかったグレー、赤みや青みがかったグレーもある。色味によって分解カーブが変わる。

「グレーの色は最後までもめた。厳密に言えば、この写真集のなかでもちがうグレーが入っている」

モノクロ写真集は印刷現場が燃える、というのは神話になりかけているのではないだろうか。野口さんに後継者のことを聞いてみた。

「右腕、左腕がいますから、だいじょうぶです。レタッチもおいてます」

『まぼろし国・満洲』がモノクロ写真集の基準ともなる高品質を有していれば有しているほど、実現を支えた個人の眼力や手わざに心を奪われる。いってみれば、日常的な生産技術で仕上がるレベルではないということだ。すばらしさに迫るためには、10年から15年前に合理化してしまった技術を再構築しなくてはならず、一朝一石にはできないのも事実だろう。手わざの保持は、マッキントッシュなどのパソコンを使ったDTP化の流れとも表面上は逆行する。『まぼろし国・満洲』が、印刷界でまぼろしの写真集にならないためにも、基本としてのアナログの世界、モノクロの世界を存続させるべきだと思えてならない。 印刷する技術も時代とともに変化する。版だけ保存しておけばいつでもどこでも刷れるわけではない。『まぼろし国・満洲』を印刷するのは力技だ。

「重版が出ても、簡単には刷れないでしょ」

製版がよくても印刷の程度が低ければ意味がない。その逆も悲惨だ。総合された結果として写真集はわたしたちの眼の前にある。モノクロの世界を切り捨てながら、印刷技術の刷新は続く。アミ点の不可視化という流れもそのひとつだろう。213線でも、目をこらさないとアミ点は見えない。700線、800線という超高精細スクリーンも使われはじめている。FMスクリーニングと呼ばれるデジタル技術を使った砂目(ランダムドット)製版も実用化しつつある。アミ点が見えなくなるとき、オリジナルと複製という区別はますます無意味になるだろう。 現在は、世界を写し撮る「はじめの写真家」と、オリジナルを写真集という世界に定着させる「もうひとりの写真家」の、ふたりの写真家がいる。デジタル・スチルカメラの普及は、ふたりの写真家をひとりにしてしまう可能性がある。

野口さんの話を聞いていて思うのは山岸享子氏の存在感だ。

「江成さんのOKが出ても、思い入れが強くて山岸さんのOKがでないことが多かった」

ふたりの写真家をどう束ねたのか、別の機会に取材したい。

写真集がここにある。二色と思えないが二色である。矩形のページがめくるように呼びかけてくる。白から黒までのトーンがかたちづくる映像に眼をむけよう。歴史は階調のなかある。