テキスト・アーカイヴ
■写真製版を歩く[1] 製版者・野口啓一氏を訪ねる(初出:会報32号)
スキャナー技術者・西川茂とブックデザイナー・鈴木一誌は、写真集『まぼろし国・満洲』(江成常夫著 新潮社 1995年刊)の製版責任者、トッパンプロセスGA製版部の野口啓一氏を訪ねた。 わたしたちは、写真集についての評論が、テーマや問題意識、写真家の「意図」をめぐってのみ書かれることに不満を持ち、印刷技術からみた批評があってもいいのではないかと考えていた。

近年、この国で刊行されたモノクロ写真集としては、アンセル・アダムズの『アメリカ原風景』(岩波書店 1993年刊)を傑作だと思ってきた。残念なことに、アメリカ合衆国で製版・印刷されたものだった。『まぼろし国・満洲』を一見して驚いた。ついに『アメリカ原風景』に肩を並べるものが、日本の印刷でできた。モノクロ写真集の新しい基準をつくった。これから刊行されるモノクロ写真集は、少なくとも製版・印刷に関しては、この本を目標にすることになる。いっぽう、二冊の写真集は簡単には比較できないのかもしれないとも思う。『アメリカ原風景』の製版・印刷は、オリジナルプリントに忠実であることによって傑作であった。『まぼろし国・満洲』の誌面には、ひとの気配がする。

野口さんという個人に取材したいと思ったのは、凸版印刷のひとと雑談していたときだ。そのみじかいはなしは、『まぼろし国・満洲』のプロデューサーでもありディレクターでもある山岸享子さんから校正刷りを徹底的に批判され、引き上げてくる野口さんのふんまんやるかたない表情について伝えてくれた。事務的にやり直すのではなく、くやしい思いを踏み越えようとする技術者がいる。ひととひととの格闘がある。製版の顔が見えた。主張の強さでは『アメリカ原風景』を一歩抜いたかと思える高品質にして個性的な仕事は、どう生まれたのか。 野口さんは語る。

「山岸さんからなんども、限界に挑戦してちょうだい、と言われた」

現在の風景に五十年前の満洲を透視しようとすることが、すでに限界への挑戦の始まりだった。

「モノクロのばあい、オリジナルに忠実というのは楽です」

カラー写真の原稿の多くは、リバーサルフィルムである。スライド用に開発されたように、透過光で見るものだ。紙に印刷されたものは反射光で見られる。基準がちがうものの復元である。カラー印刷には、原稿どおりということは原理的にあり得ない。リバーサルフィルム明暗の幅を圧縮しながら、色を手がかりに「原稿どおり」が追求される。原稿で赤い箇所を青くするように要求されることはない。モノクロ写真の原稿の多くは、白黒の印画紙である。印刷物と同じ反射光で見られるものだ。原稿と印刷物の比較を厳密におこなうことができる。見本があり目標が決まっているのは、優れた技術者にとっては計算が立つ世界なのだろう。

写真集は書物のなかでも特別な存在だ。絵画を集めたものが画集で、写真を集めたものが写真集だが、画集の多くがカタログやリストのようになりがちなのにたいして、写真集は完結している。写真集は、ほかのものに置き換えられない。掲載したオリジナルプリントを、順番もそのまま並べて展覧会をやっても写真集の代わりにはならない。印刷された写真は、オリジナルプリントを夢想させる仕掛けではない。キャンバスにどのようにどんな色が塗られているかが絵画にとって重要なように、紙の上にどのようなアミ点がどのように刷られているかは大事なことだ。印刷としての表現をめざすことになる。 「紙焼きどおりでダメだと」いうことになり、覚悟を決めたという。

オリジナルプリントがもっている強度を、製版・印刷でさらに高めるということは、出版に長く関わってきた山岸にとっては自明のことだったろう。

「原稿通りであれば身を細めることもなく十分につくれた。仕事が終わったときには体重が三キロ減っていた」

モノクロ写真は何色で刷られるか。墨インキ一色がシンプルだが、フラットになりがちなため、写真集では二色か三色が多い。コマーシャルでは四色のモノクロもある。オリジナルを素材にして、「ドロッとした」とイメージで語られる世界を印刷で実現させるのには、三色が必要だと野口は考える。山岸は二色でなければダメだと言う。今日まで出版されたモノクロ写真集で、ダブルトーン(二色)で印刷したと公表されたもののなかに、実はトリプルトーン(三色)で刷られたものがあったように、色数が少ないほうがむずかしい。

「三色目はサービスすると言ってもダメだった」

予算の問題ではない。限界への挑戦なのだ。二色でも、インキの組み合わせは限りなくある。墨+墨もあれば、墨+グレーもある。そのグレーも、濃いグレーから薄いグレーまで限りなく選択の幅がある。三色四色と色数が増えるにしたがって、組み合わせは天文学的に増えてしまう。揺れの幅をせばめ、フィールドを限定し存分に戦う。二色での模索が始まる。

「線数についてはまかされた」

何種類かテストをして、準高細線といえる213線にする(通常の写真集は175 線)。

「本機にいく(本番での印刷になる)と、校正どおりになかなかいかない」

色数が多いほうが印刷は楽だといえる。調整がきくからだ。一色はもっともむずかしい。三色ではなく二色でやらなければならない。簡単にいえば、三色分のインキの量を、二色で盛らなければ印刷の迫力が出ない。インキを盛れば、調子がつぶれ、暗くなってしまう。本機と校正機の差は、三色より二色のほうが出やすいともいえる。本機で濃度が上がるのなら、濃度が上がる前提で「ドロドロとした世界」を表現してみようとした。

「二校までは、グレーのボリュームを墨より多めでというように、ふつうのダブルトーンの延長でやってました。グレーの色味も濃くしたし刷りも強くしたが、OKがでなかった」

「刷りではダメだと、そこで切り替えた」

墨とグレー版を、今までとまったくちがう作りかたをすることにする。

「はんこ(製版フィルム)は、びっくりするぐらい想像つかないものです。グレーは平網に近い。明暗を結ぶカーブは直線ではない。墨版見ますと、これでしっかり刷れるのかと思うくらい中間調が弱い」

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