テキスト・アーカイヴ
■座談会(初出:会報45号)
深川:真実かどうかという問題じゃなくなってきますよね。だからテクストによっても伝えられない。

西井:かもしれないけど。テクストによって信用づけられてなければ、もっと信用できないってことでしょうね。逆に言えば。いや、沢田教一の話なりに限定してかないとだめなのよ。拡散しちゃうと何が何だか分からなくなっちゃうから、最後には。沢田教一の事に全部限定しちゃおう。あの写真が何年何月何日に、沢田教一によって撮られたという証明はどこにある。ないでしょ。あの人が撮ったっていう証明はどこにもないんだ。何年何月日の何時何分であるかという証明もどこにもない。だからそのとき泳いできた人はいるかもしれないけれど、面接して確かめたことは誰もないんだよね。どっち側に泳いできたかも本当は分からない。ただ西側で発表されたから、自由への逃走になってるだけで、沢田教一がそういうタイトルつけたかどうかも分からない。おそらくつけてないでしょ。そんなことやってるわけない。だって渡しただけだから、多分、フィルムを。彼は、そういうものがどこに載ったかも、ほとんど知らないで、ゴチャゴチャしてるわけ。そういうことが多いでしょ。彼の意志じゃないわね。せいぜい、タマタマ契約してた通信社のセオリ−通りにコトが運ばれている可能性が高いだけで撮った人の意志なんか全く反映しないってことだよね、撮られた写真に、少なくともこの場合は。他のはどうでもいいんだ。この場合はほとんど反映してないよね。何を思ってたかなんてどうでもいい。で、それがたまたま賞をもらちゃったわけだ。彼は嬉しかったろうけど、お金も入るし、これからの生活も安定するからね。だけど、彼が撮った意志とか、ましてや一番肝心な写った人の意志とは全く関係ないわね。あの人たちはいやな所にきたのかもしれないんだもの。これで地獄だって思ってあそこで泳いでるのかもしれないもの。

深川:そういうのを撮って、ピュ−リッツァ賞を受賞した人で自殺してる人って結構多いそうですよね。写真家でね。そういう自分の意志とは違うところで意味づけられる写真の重圧があるのではないでしょうか。

西井:意志はさ、当然写真には写んないんだからさ。写真家の生き方とか思想という「写真外」の部分で律するところですね。

鈴木:だから、沢田教一を正面から撮ってなくても、誰かがいるんじゃないですか。目撃者が。

西井:いるかもしれない。だから、そういう傍証によって写真が証明されるんでしょ。だから写真そのものは証明しないでしょ。写真そのものからは何も分からない。いやそれは、今のようにランドサットからのこういういろんなのがあればさ、地形ならここしか撮れないという、このカメラマンが立っていた場所を特定されるかもしれないけど、そうだとしても、この人が撮ったとは言えない。ましてそんなふうに写真は言わない。

鈴木:だからそのものによっての証明をどう考えるか、という問題なんだよね。

西井:俺は証明に何の意味もないと思っているわけ。だからそういうことは言うだけ無駄だと思ってる。別に写真が何を言えるかということの論議はほとんど無駄だと思ってる。たいして何も言えないんだから、写真なんか。写真にはほとんど物を言う権利がないの。ありましたよ、と言ってるだけだから。そこにいましたよとか。誰がいた?なんて何も言ってない。たまたま知ってる人だから、これは森繁久弥ですよって言ってるだけで。誰も知らない人だったら、人がいましたよって言ってるだけだから。場所もこういう場所がありましたと言ってるだけだから、写真は何も語ってないんだけど、たまたま洋風な場所だから、ああ、ここはミラノねとかさ、私らがみんな知ってるから言ってるだけで。これを無視して、話をするとほとんど無意味になる。要するに、写真の本質だけで話をすると全然無駄なの。誰も知らないものが、ここにあるってことを前提にしてるんだから。宇宙の海王星のどっかを撮った写真がここにあるとすると、それを今私たちが見て何も分からないのは当たり前だよね、知らないんだから。見たって。月の表面のこのへんだけ撮った写真だって、分からないよね、僕ら見せられても。

鈴木:NASAの火星の写真だってほとんどが画像処理。

西井:だから『カプリコン1』という映画があったでしょ。あれと同じ話になっちゃう。本質だけで喋るのか、要するにそれを見る人間の社会で喋るのか、こういうことはきちっとしとかないと、喋りようがないわけ。

深川:その話と関連するけど、そのヘルテンで紹介された日本人写真家の中で、とても人気があったと人としてドイツ側のオーガナイザーが挙げていたのが、土田ヒロミさんでしたね。 広島のシリーズです。これは今のテクストの問題と関係あるでしょう。それと橋口譲二さん。いろんな日本人が写されてて、その下に解説するキャプションがあって。これは非常に受けていました。

鈴木:こういうようなテーマを持続的にやった方がいいんじゃないの?

西井:今ので、中途半端にしといてもいいんですけど、こういうことは次回御期待ということで。

鈴木:写真と言葉をつきつめるとかさ。そのテーマたててさ。

西井:うん、いいと思うんだけど。俺はそれ1回やるべきだと思うし。1回どころか永遠のテーマですから。いいんじゃないですか。そんなにひどい話じゃなかったから、いけるんじゃない? これで。やりましょう。これで続くにして、乞う御期待は次のを読まなきゃだめ。

※2000年1月20日本郷三丁目「魚民」にて