テキスト・アーカイヴ
■座談会(初出:会報45号)
西井:いやいやニューヨーク展はね、サンフランシスコ展にくらべるとものすごく小さいからね。規模が。ものすごいってことはないんだろうけど。何十点少ないってぐらいのもんなんでしょうけど。両方ふくめても多分サンフランシスコの展覧会にかなわないだろうから。とくにまぁメトロポリタンだけ見た人なんて、『狩人』のほんの一部だけを見ただけの話ですから、会場の大きさとして銀座のニコンサロンとほとんど変わらない大きさですから、だから、全身のものでも40数点から50点くらいしか並ばないわけ。それがほとんど全部が『狩人』という写真集の中のものです。で、それ以外のものは全部ジャパンソサエティーにいかないと見れないので、両方見た人で、始めて若干分かるというぐらい。サンフランシスコのはそれが全部一緒になって、それよりもうちょっと多かったという話だから、たとえば『遠野物語』にしても、ジャパンソサエティーよりももっとあったとかね。

深川:もっとあるでしょう。メイキング・コレクションみたいなものも。

西井:そういうものにならざるをえない。だって減らそうとするとそうなっちゃう。

深川:メトロポリタンだと、そんなかんじになっちゃうでしょうね。

西井:だからねメトロポリタンでも、20世紀アートの一部を使ってやっているとは思わなかったんだよね。メトロポリタンだってちゃんとした写真部門のスペース持ってんだから。そこでは森山大道展をやってる時に何をやってたかというと、ウィトキンかなにかやってんの。アメリカンフォトグラファーの一番最初みたいな、もう白っちゃけたさ、像が消えかかるか寸前ぐらいのさ、それをでっかいのにガバッと入れたのが、100何十点飾ってあるんだよ。もちろん見ましたけど一応それも。ここでやりゃいいのに。全部さ。

深川:そしたら、同等には比較できないですよね。サンフランシスコ展とは。

西井:全然できないね。まるっきり別のものだと思わなきゃいけない感じですね。あれは森山大道展じゃないね。森山大道の『狩人』の一部展ぐらいのものですね、メトロポリタンでやってたのは。ニューヨーク全体でやってたのも、要するに森山大道展、の一部展ですね。はっきり言って。一部だからつまんないかというとそうじゃないんだけど。反応はすごかったみたいですよ。僕は直接まったく知りませんが、遅く行ってるから。当初はニューヨークタイムズがインタビューにきたりとか、そのシャーカフスキーとのシンポジウムというのもあったみたいで、そういう時にはもう満員で大変だった、というようなことは聞いた。別に評価が低いわけではないんですけれども、だからメトロポリタンが高すぎるんじゃないですか。しきいが。

深川:場所がとれなかったんですかね?

西井:というかね、1977年に初めて僕がニューヨークに行った時に、アービング・ペンが初めて、生存している写真家としてメトロポリタンで写真展をやるという時だったんです。もちろん今回の森山さんと全く同じように入り口に何の告知もない、で入るでしょ、全然案内なきゃわかんないんですよ、どこでやってるか。で、そのなんていうの、係員にこういう展覧会をやってるはずだけど、どこでやってるのか聞いて初めて行けるわけです。そこと同じ所でした。森山さんがやってたのがね。だからアービング・ペンでさえ、20年前まったく同じ所で個展を、やったわけだから、20年後によくわからない日本人が個展をやるのにふさわしい会場だったのかもれしないと思いますけれども、そういうもんなんですよ。アービング・ペンなんかは、もうまったくアメリカンフォトグラフィのマスターじゃない、あくまで、商業写真屋だとこう見なされてたわけだ。写真プロパーのスペースでやらないで、20世紀アートという、まだ価値の定まらない場でやってたわけだ。20世紀芸術っていうねコーナーがある所の中2階にそういうギャラリーがあるのよ。アービング・ペンもそこでやってましたよね。オーソライズされていない、というスペースだと解釈すれば、森山さんのも、それでいいではないか、と帰ってきて思うんですが。

深川:いずれにしても森山さんの展覧会はヨーロッパの方にも巡回しますね。

西井:うん、行きますからね。そして行く時にはニューヨークバージョンは全く関係なくて、サンフランシスコの最初のバージョンでいくはずですから、それはいいんだと思いますけどね。

深川:展覧会としてはとても優れたそして大変な仕事だと思います。キューレーターのサンドラ・ファリップスさんには最大限の賛辞を送りたい気分です。ところで、サンフランシスコ展のカタログを見た感想ですが、アメリカ人から見たという視点が貫かれているから面白いなと思いました。そのために、僕ら日本人が見た場合には、逆になんかちょっと違うなという感じもしました。

西井:それがね、すごく感じたのはね、僕なんか全く気付かなかったことがよく分かったという意味で、だからね、森山さんの初期の作品の中にね、かなり交通事故とかのねコントラストの強い作品がいっぱいあるんですよ。で、俺はね、半分くらい本当だと思ってたわけ。本当だってのは、つまり現場に遭遇して撮ってるとこう思ってたの。まっかな嘘だってことが今回のニューヨークの展示見たらはっきり分かったね。全部警察のポスターの複写。全部嘘。まっかな嘘。全然見たこともない。いやもちろん見てるポスターでね。全部ポスター。なぜ分かるかというとね、写真の下にタイトルついてるでしょ、あそこに全部書いてあるの。ポスターオブポリスなんとかっていう、交通事故防犯の警察のポスターよりっというのが全部ついてる。そればっかりがウワァーッと並んでるんだよ、『狩人』なんかもう複写以外何もやってないみたいなね。(笑)で、そのへんがむこうの興味をひいてるわけよ。要するに複写だとは誰も思わないようなものが全部単なる複写だということね、ポスターの。

鈴木:その頃あの森山さんはポップアートなんかに随分影響をうけていたそうですね。

西井:うん、受けていた。だからそういう観点の方向ではあるんだよね。だからビートゼネレーションとか、ウォーホールのあれだっていう感じが向こうにあって、そういう形の評価を受けてるんだよ。

深川:アメリカンカルチャー的な、そういう文脈ですよね。文脈のつくりかたとしてはアメリカ人の。

西井:だから日本で受けてるのとはかなり違うわけ。

鈴木:日本ではどういう評価ですか。

西井:だから、ブレボケの元祖みたいな。何が写ってるかわかんないじゃない。向こうはそうじゃないんです。撮ったものははっきりしている。交通事故である。しかもコントラストしかない。ディテールがまったくない。なんなんだこれはっていったら、全部ポスターの複写です、とこういったら納得するわけですね、当然。それで何が悪いわけって。要するに一見写真として見た時に、すごい迫力じゃないっと向こうは思ってるわけだから。いいじゃない。だから悪いという評価にはならないのよ。いいじゃない、日本のウォーホールじゃないかっていう感じになるんじゃないかと思うんだけど、評価の行き先として。

深川:それは文脈がちょっとずれてると思いますよ。宮本さんの場合は、幸いにベルリンというその都市のもってる磁場と、宮本さんのやってる仕事の内容と質感というのが、物凄くシンクロしちゃったわけですよね。

鈴木:写真って、どのくらいインターナショナルなんですか。

西井:全然インターナショナルじゃないよ。まったくドメスティックでしょ。その国でしか通用しない、ですよね、基本的には。

深川:そのことで日本の写真の評価も変わってきたというのは。

西井:いや、変わってきたかどうかはわからない。要するに山岸章二がグル−プ展に持って行ってた時と、今と、どれだけ向こうの人たちが変わったのか、ぼくらには分からないけど。あまり変わってないと思いますよ。なんだ、富士山、芸者じゃないんだってなくらいで。こぎたない色が写ってンな、ってなぐらいで。

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