テキスト・アーカイヴ
■座談会(初出:会報45号)
PART1: [ 海外における日本の写真家の展覧会 ]

西井:深川さんはベルリンで宮本隆司さんの写真展「都市の黙示録」を見てこられたそうですね。アサヒカメラで展評を書かれていました。私も書いちゃいましたけども、森山さんの写真展をニューヨークに見に行ったりしてたので、その意味では日本の写真家の展覧会が、しかもグループ展という形ではなくて個展という形で海外でそろそろ行われるようになった時代なんだろうと思うんですよね、去年あたりが。だからこういう展覧会が複数開催されたの初めてなんじゃないかと思うんですが、荒木さんが一人でやったとかいうのは一昨年とかにありましたが。

深川:荒木さんとか、杉本さんとか。そういう方々は80年代に。

西井:うん、石内都さんもロンドンでやっていたり、ポツン、ポツンとはあった。そういうの除くとだいだいグループ展でしょ。山岸さんがニューヨークで展覧会を日本人でやったのは、全部グル−プ展ですから。個展でしかもこちらサイドのキューレーターじゃなくて、むこうのキューレーターが組織して写真展を海外で行うというようなことは、多分去年あたりが一つの画期になるじゃないかと思うので、それが大きな今までとの違いだと思うんですけどね。という意味でちょっと宮本さんの展覧会のなんていうか形式とかなんとかをうかがいたいんですが。

深川:実際、現在国際舞台で日本の写真にたいしてかなり注目がたかまっています。去年は海外で紹介された日本人写真家の人数だけで見ても記録的で、これまでになかったほど大勢の日本人作家の作品が海外で展示されました。一つカタログを持ってきました。これは、ヘルテンというドイツの小さな町で今年開催された国際写真祭「ヘルテン 国際写真の日」の総合カタログです。去年の9月末から10月にかけて開催されました。ヘルテンはルール工業地帯の小さな町ですが、写真文化の振興に力を入れています。たとえば、日本でいうと国際写真フェスティバルが開催されている北海道の東川町みたいな町です。場所はケルンの近くに位置しています。町としては本当に小さいのですが、そこで隔年ですね、国際写真フェスティバルというのをやっています。ケルンでは隔年でフォトキナが開催されてしますが、そのフォトキナがない年に、この写真祭が開催されています。91年に始まって、去年で5回目です。各回ごとにメインテーマを決めています。いろいろ個人の作家の紹介もあるんですけど、そのなかで、メインとしてあるひとつの国の写真を紹介するという企画があります。たとえばかつてロシアの写真も紹介しています。一昨年は中国だったんです。去年が日本ということで、これまでにない規模で日本の写真が紹介されました。作家の数はそうですね、80人ぐらいですね、歴史的な写真の展示もありましたが、むしろ現代の写真を、有名無名を問わずに、どんどん紹介したという意味で画期的でした。あるドイツの雑誌の展覧会評をその後読んだのですが、ヘルテンでのこれまでの企画の中でも、日本特集は最高の出来で意義深かったということが書かれていました。1999年は、こうした展覧会だけでなく、さらに、イタリアのモデナでも日本の現代写真のグループ展が開催されています。さらに、森山さんや宮本さんの大規模な個展も海外で開かれたわけで、国際的な舞台で日本の写真が注目されているということを示す非常に象徴的な年でした。

西井:宮本さんの展覧会はヘルテンと同じくらいの時期にやったんですか?

深川:宮本さんのは10月でしたね、ヘルテンも10月か。重なっていますね。場所はベルリンとヘルテンという違う町ですが。ヘルテンは3週間ぐらいですね。

西井:パリの写真月間くらいの長さでやってるんですね。

深川:いや、写真月間はもっと長いですね。

西井:じゃそこにたとえばドイツとかヨーロッパの写真関係の人が、かなり見にきたりするんですか。

深川:そうですね。それもありますが、関係者だけではなく、もう一般の人が観光気分で見にいくわけですよ。

西井:一般の人っていうのは、そこの町に住んでいる?

深川:町に住んでいる人、あるいはまぁ車でどこからでも来られますから、近隣の町だけでなく、オランダあたりからでも。

西井:で、施設的には結構まともな施設があって、そういうところで展示されてるんですか。

深川:それはいい質問ですね(笑)。いくつかギャラリーもあるのですが、主たる展示場は既存の建造物、たとえばかつての防空壕や炭坑の工場施設や公共プールなどを利用して展示していました。ヘルテンというのは小さな町なんで、いわゆる美術館とか博物館とかはないんですよ。ヘルテンはルール工業地帯の町のひとつで、昔は炭坑とか鉄鋼で栄えた町なんですが、産業が衰退してさびれちゃった時代があります。でまぁ村おこしというか、町を活性化させていく、地域を活性化させていくっていう意味で、このフエスティバルが開催されるようになりました。行政区的にはノルトライン・ヴェストファーレンという州に属しますが、この州は、地域の再活性化のために、こういう写真とかの文化的催しものを小さな町でもやろうと力を入れてきました。実際、かつてのル−ル工業地帯は十年くらい前とくらべると、なんかこう全然見て違いが分かるんですよね。緑が多くなっているし、こういった文化的イベントや斬新な発想から生まれた地域再開発などが進んでいます。現代美術の展覧会にも力を入れています。象徴的なのは、クリストの巨大プロジェクトの展示です。それはドラム缶を1万3000本くらい使われなくなった巨大なガスタンクの中に積んで並べるというプロジェクトでした。オーパーハウゼンという街でやってまして、大盛況でしたね。

西井:ええ?まだそんなことをやってるの、クリスト。

鈴木:向こうのキューレーターって、どうやって日本の写真の情報を集めてるんですか?

深川:80年代後半、日本に写真を扱う美術館ができて、それによって外国にとって目に見えるアクセスポイントができたわけですね。これはやはり大きかったと思います。

鈴木:それはインターネットみたいなものですか?

深川:いや、まだ当時はそんなインターネットなんかね、ないですから。現在は普及してきましたけど。やっぱり美術館とかができて、その存在が外側からも知られるようになってそこがひとつのアクセスポイントになって、90年代になってかなり相互の情報が交換されるようになった。たとえば、90年代半ばになって日本の写真家と写真関係者そして写真施設に関する住所録みたいなものをナズラエリプレスが編集してヨーロピアンフォトグラフィーというところから本として出版されています。 全部、英語で書かれています。だから一応どこに何があるか、誰がいるのかというところまでは情報として海外の人にも開かれている。そういうのもあって、じゃああそこにアクセスしてみようという感じになったのではと思います。さらに、実際に日本の写真を見に来てみるとこれは面白いなということになってきたんでしょう。それで、日本の写真が以前とは比べられないほど紹介されるようになってきたと。

鈴木:プロデューサーの権限というのはどうなんですか、日本と外国では。

深川:えーそうですね、まぁ展覧会というか、企画にもよると思うんですけど。

鈴木:ロッテルダムの映画祭のプログラムなんかを見ると、日本の映画状況をものすごく知ってますね。知識と勘の両輪がある。

西井:ロッテルダムは特別なんじゃないですか。あそこ写真フェスティバルもやってたでしょ、まえ。もう止めちゃったけど。

深川:まぁ僕が働いている川崎も結構ロッテルダムやヘルテンと似たような土地柄なんですね。どれもかつては重工業で栄えた町ですよね。こうした街で、現在、そういう映画祭とか、写真のフェスティバルが結構やられてるんですよ。ロッテルダムの場合もそういう文化による地域振興という意味も大きいと聞いています。

鈴木:そこの感覚で、日本まで紹介作品にしようというのは絶対合議制じゃないんだってのがありますよね。だから一人、確信犯がいてそれが通る構造があるっていうかね、そういう気がしてしようがないけど。

西井:それはだけど、世界中そうじゃないですか。どこでもフェスティバルで何決めるかというときに、絶対に決めるやつがいて、独断と偏見で決めてるでしょ。合議制じゃ決まらないでしょ。二人いた時に、どっちを選ぶかというのは絶対にあったことがあると思うね。あいつと寝たことがあるっていうに決まってるっちゅう感じが。気がするんですけどね。まぁいいや、それは。

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