テキスト・アーカイヴ
■西井一夫の写真雑感(初出:会報39号)
写真の会会報第38号がようやく発行されました。昨年の第9回写真の会賞以来、存続か否かを討議し、存続の方向で会員が動きだして、半年余り経ち、やっと、の思いです。第10回写真の会賞のため10回目の会員を募集する事と、3月の会員による推薦依頼のため、次の会報を早急に出すひつようがあろうかと思います。よって、ここは、鈴木一誌さんに音頭を取っていただいて、2月の早い時期に次号を出すよう努力いたしましょう。私も原稿を早めに送ります。

以下の文は平凡社百科年鑑に97年写真の動向、として書いたものの草稿です。

[写真]
1997年今年も荒木経惟の写真活動がもっとも強かった。まず『荒木経惟写真全集』(平凡社)全20巻の完結、この写真集、しかも個人写真集の全集、という前代未聞の試みは、単に彼の過去の作品を構成し直す、というようなことではなく、一冊づつが、現在進行形で撮られた写真と過去に発表された写真をゴチャゴチャに混ぜこぜにした一種のカオス状態を意図的に作り出す作業として編集され、刊行されている。

元々荒木は、日付の入るカメラで偽の日付に変えて撮るといった、「偽日記」の本があり、時間や場をモザイク的に混沌とさせることを手法としても行っていた作家だが、この全集では、そうした荒木の持っている表現手法の全てが試みられ、実行された感がある。多分可能なら、20巻などで完結せず、永遠に続く荒木的現在写真集であることが本人の希望だったはずだ。その荒木は何とウィーンの19世紀末に建てられたセセッション会館で「東京コメディ」(9/25-11/6)という写真展を開いた。ここでも、東京のスナップとウィーンでのスナップとをポラロイドでごちゃ混ぜにした展示がとられていた。或る脈絡を構想するより、現在は脈絡を端から放棄して、敢えて混沌を指向するアラーキー、いやアナーキーな方法が意図されていた。彼の写真行為は、始めから東京という都市風景と女とのごちゃ混ぜであった。五目ご飯的、いやむしろカツカレー的な感性があった。

ドイツのTASCHEN=タッシェンという出版社から『ARAKI TOKYO LUCKY HALE=トウキョウ・ラッキー・ホール』という風俗営業の現場を撮った、えげつない写真集も出版された。ここで使っている「えげつない」という言葉は、決して否定的に使用していない。誉め言葉として使用している。この「えげつなさ」こそ荒木の写真の本質だ、と考えるからだ。私の言葉でいえば「DISTANCE」という「よそよそしさ」となるが、荒木の場合えげつなさ、として現われる。身も蓋もない、という意味もこめているが、彼には、写真は「複写」にすぎず、そこに現われるのは、被写体の表現であり、写真家は表現者などではない、という彼自身が写真家になった時から掲げていた荒木語によるテーゼがあり、この単純明快な定義によって、荒木は常に芸術などというものに拘束されることのない自由な意識を保持しえたのであった。

性にかんしても、この意識は明確にえげつなく、だから、彼は始めからヌード写真等撮ていなかった。彼は始めから女陰=割れ目を撮るお××こカマラマン、などと称していたのであった。ところが、ここ数年若い女の子達の間にカメラが流行し、特にHIROMIX等の登場以降、使い棄て、又は軽量小型のコンパクト・カメラで身近を撮ることが一つのスタイルと化するようになり、業界の後押しもあって、写真が若い女の子の表現ツールになった。そこで、すかさず「Out of Photographers」(新潮社)などという素人写真の投稿で埋めた新手の雑誌が登場し、2号目からは「アウフォト」となったが、彼女らは、写真というものに関心があるわけではない。むしろ、写真などどうでも良い人達等であって、「プリント・ゴッコ」と同レベルでカメラと戯れていただけなのだ。関心は、写真ではなく、カメラという物のほうにある、と思われる。事実、「アウフォト」など見ても一向に面白くも何ともないのだ。ああいうものは、ただのゴミにすぎない。ゴミをアートと勘違いした編集者がいたようで、そこには、デュシャンのセンスが当然欠落していた。火付け役のHIROMIXの方は、とうに素人であることを辞め、『光』等という写真集を出し、展覧会も開いて、プロの写真家への脱却を計った。そうなると、腕の差は歴然だから、荒木にも篠山にも森山にもまるで脅威でも何でもない唯の女の子になってしまった。カメラで遊んでいる内が華だったのだ。カメラで遊ぶのは、技術のない何の制約もない素人の方が自由である。

カメラで遊ぶのではなく、写真で遊んでいる中年がいて、今年『5000000歩の京都』(マリア書房)という写真集を出した。数年前『大阪環状線・海まわり』という写真集でデビューした人だが、今度の京都も良い。この人は、ある空間の光景を丸ごと掴えることにかんしては、恐らく長野重一氏を上回る感性を持っていると思える。写真に写っている一瞬の前後の時間が確実に止められた瞬間に二重、三重、五重にと重なっていて、写真が瞬間を写すものでありながら、活動写真としての映画のシーンを見ているような気分にさせられる。瞬間の中にいくつもの物語りが埋め込まれている。お話しがいわば無尽蔵に溢れかえっているのだ。これほど何回見ても飽きることの無い写真集も珍しい。タイトルの数字は、京都を撮り始めた時からつけていた万歩計の数字を合計したもので、ここでも、写真は大変「数字」的なよそよそしさ、の概念の範疇で捕えられている。残りが少なくなってきたので、先をいそぐ。

今年の写真の仕事で目につき、かつ、私の記憶に残ったものを揚げておく。まず1月にパリで見た「ピエール・エ・ジル」という展覧会。ここにある俗悪・凡庸なるえげつなさ、は確かな力だった。 写真展としては、「失われた風景」(横浜美術館2/1-3/30)、望月正夫「チョーダの庭」(MOLE)、チョーダとは長田という地名の呼び方であった。落ち着いた味わいある展示だった。井上孝治「想い出の街」(JCII PHOTO SALON4/29-6/1)、1950年代の福岡が立ちこめていた。白岡順「残暑」(パストレイズフォトギャラリー9/13-10/11)、彼は、真っ黒から今度は真っ白へと行き着いた。言葉にならない写真であることに変わりはないが。その他「ポンピドー・コレクション写真展 パリの写真家たち」(Bunkamura ザ・ミュージアム9/13-10/26)、又、アルフレッド・スティーグリッツに関係した二つの展覧や九つの会場に分散して開かれたグラーツ在住の古屋誠一の亡き妻のポートレート展等。写真集としては、森山大道『狩人』の復刻、篠山紀信『定本 作家の仕事場』(新潮社)、『人間関係』(マガジンハウス)、野町和嘉『メッカ巡礼』、都築饗一『ROAD SIDE JAPAN』(この人は『TOKYO STYLE』の文庫化も出した)、山内道雄『HONG KONG』(蒼穹舎)、渡辺眸『西方神話』(中央公論社)、楢橋朝子『NU・E』(蒼穹舎)、森山大道『Daido hysteric大阪』等があった。尚今年のものではないが、今年目にしたもので勝山泰佑『海渡る恨』(汎交社)は韓国の従軍慰安婦達の証言を含めて追ったもので力作であった。

■追加

「おさらい」に抜けていたもの。岩波が『日本の写真家』シリーズ・全40巻+別巻1の刊行を開始した。第1回配本は「上野彦馬と幕末の写真家たち」「福原信三と福原路草」「渡辺義雄」「石元泰博」「森山大道」というラインナップ。一番新しいところでは、須田一政あたりまで。たった一人も女性が選ばれていない、そういう意味で極めて珍しい選択である。編集委員は、長野重一、飯沢耕太郎、木下直之の3人。岩波は98年1月に安江社長が亡くなり、新体制になった。41冊というかなり、長期にわたるこの企画が最後まで完結しえるかどうか。第9回写真の会賞受賞者の元村さんが、我々のインタビューで話しているが、日本の写真家は写真集を買わない、という。こういう企画の生き死にの一つはそういうところにもかかっている、ように思えるのだが。

■「写真の現在――距離の不在・「都市」をめぐる5つのアプローチ」
(2/10-3/28・東京国立近代美術館フィルムセンター展示室7F)

「多様に展開する写真表現の現況を、注目すべき写真家たちの作品から考えようとする展覧会シリーズ」の第1回として斎藤さだむ(サダム・フセインとは何の関係もナイらしい)、畠山直哉、楢橋朝子、松江泰治、金村修の5人の作品による、新シリーズのスタートであるようだ。松江の写真がどうして都市をめぐる、という文脈で出てくるのか理解に苦しむところもあるが、堅いことはいわず、(私はこれまで、堅いことを言うことでモノを書いてきたが、悪口をいう時代は終わった、らしい)飯倉加減に都市とは一枚剥げば砂漠なのだ、という1968年に発見された歴史的事実に基づいて、松江の写真も都市の表層をはぎ取ったものとして大目に見よう。

会場に入ると何故か順路とは逆に行くクセで真っ直ぐ金村の写真に向かえば良かったのに、ヒン曲がった根性から左にいったため、最後の斎藤の写真から見るハメになった。カラーで2枚とか3枚とかが組になって展示されていて、逆から見ると写真家の名前は最後に出てくるので、多分見たことナイ写真だから、斎藤のだ、と思いながら、見ていってやはりそうだ、となるまで、写真家の名をしることなく、写真だけを見た。細かい枝だらけの木とか、絡み合った蔓のようなものとか、植物が被写体で気色悪い雰囲気であった。昔、山村雅昭が植物の気味悪い写真をとっていたが、あれに比べると気色悪さは、全然中途半端で、生温い。ヒカリを当てて赤っぽくしたり、青っぽくしたりと技術・テクニックで見せよう、という感じがあざとくて私には向かないものだった。

次ぎが松江で、世界各地の荒涼とした広い砂漠や森林や山等を大型カメラでバチッとピントがキリキリして像のエッジが切れそうな緻密精密なる映像が展開していた。私は今回彼の写真のために直径9センチの虫メガネを持参していった。この精密な映像の中に一体何が映っているのか、じっくり見てやろうと思ってのことである。既に老眼なので、こういう細かい映像は苦手である。もう、細かいところは良く見えないのだ。で天眼鏡でのぞくと、アルワ、アルワ、ゴチャゴチャ、グチャグチャ、何でもかんでもあるものは在るという感じで、うんざりするほどのものが数限りナイほどゴッテリ写っている。こんなに写る必要がどこかにあるのか。南アのレソトというサバンナでの写真には、当たり前だが、羊や何かの動物が何頭も写っていて、ああ、まだ此の星にも生き物が生存していたか、と思わずホッとしたりするところが、私もまだ甘いのだが、そんなことも感じてしまった。彼の写真は一見航空写真のように見えるが、実はそうではなく、高い場所からの俯瞰で、確かに真上からの遠近感の喪失ではない、遠近感がユルユルしているが、ナイ訳ではない。遠近感はまだ、依然としてあり、かつてのように絶対的な基準としてはユルンデいるけれど、相対化しながらもまだ、十分遠近法の周縁にある。以前ジュディ・ティーターだったかが航空写真を撮っていたのを見て、その遠近法の全くの喪失に視覚的驚きを覚えた記憶があるが、松江の写真はそれと比べるとやはり一歩手前だ。

次ぎが畠山で夜の都市の四角いビルの蛍光灯の明かりを無機的に撮ったもので、確かに或る統一的雰囲気を醸し出すが、私は見ていて息苦しくなって、気持ち悪くなった。こういう生理的反応を誘うというだけ、この写真群は力をもっている、ということだ、とも言えよう。

そのおかげで、次ぎの楢橋の写真に向かった時は、逆に見慣れた写真の質で安堵したくらいだ。質は慣れ親しんだものだが、写真の中身は物足りなかった。長いレンジでヤッテキタ「NU・E」が本に成ったとき持った、時間という量のもたらす何物か、がまだ欠けている、という感じで軽々しく、ペラペラの紙ッぺラという表層的な軽さが浮き出ていた。おなじペラペラさであったが、金村の写真はいつもながら、黒々しく、ガチャついて、電信柱と電線とが縦横を分ける写真のモンドリアンの出来損ないのようで、力はある。私には、結局、この5人で写真展をする必要性が判らなかった。判る必要等ないのかもしれないし、要するに各々写真をタダで飾る場所があればそれでよかったのかもしれないし、写真は結局誰かに見られないと写真になれないから、そういう場として、そこが在ったということかもしれぬ。どうでも良い。どちらにしても、必要性等があって為される写真行為等はマレだし、一生お目にかかれぬかも知れぬ。それでよい。そういうもんだ。

実につまらぬ、印象をかき連ねているが、もうよみたくない人はここから後は読まなくて良い。

最近、写真を見ても言葉を紡ごうという気持ちにならない。貶す楽しみが無くなったからでもないと思うが、多少はそれもある。正直写真と私の中の言語とがマッチしなくなっている。もう、私あたりが、ものを言う時代はおわったのだろう。其れでよい。黙って舞台を降りよう。