テキスト・アーカイヴ
■写真塾のコーナー ― 西井一夫からの報告 ―(初出:会報37号)
96年8月の写真塾開始から一月おきに1回の割りで会を続けてきた。出席者も大体固定化してきていて、毎回15人くらいだ。人数的には、丁度良いかもしれない。これまで、3回は藤田省三氏の著作「戦後精神の経験」1,2「全体主義の時代経験」の三冊を読んできた。毎回レポーターを決めて、その人が内容や疑問点を指摘して、出席者がそれに対して意見を述べたり、更に質問を重ねたり、といった中味で、藤田氏の主張である、安楽への全体主義へ、我々の社会が向かっている事を如何に我々の生活や身の回りの中で実感し、本当に我々がしなければならないこと、あるいは、我々にできること、をしっかりと認識して、いちいちの細かな些細な出来事にたいしても、それぞれが細かく対応し、判断していく必要がある、ということを確認までしえたか、どうか、ともかく、我々は不快な事をさけるため、安楽を求めるため、不快の素を一掃しようとしているのか。 我々は安楽を求めてはいけないのか。不快をさけては、いけないのか。安楽を求め、不快を避けるのは、ごく普通の感覚に過ぎないのではないか。

そういう議論から、安楽は求めて決して悪いものではないが、安楽だけを目的にそれを追及する、ということとは違う。不快も避けていけないものではなく、当然避けるべきものであるが、不快を避けることが目的化していることは、正常ではない。同様に利益を得る事はいけないことではない。が、利益を追及する事が目的化していく事はいかがなものか。豊かさもわるくはないが、それが追及すべき目的と化す時間違う。長生きも同じく、長生きして悪いわけではないが、長生きが追及すべき目標か。人は平均寿命で生きるのではない。人や生命体には、それぞれ各々の定まった寿命が個別にあって、だからこそ、個別性が存在するのだが、それを無視して、何でも平均化して考えようとする、思考の中には、明らかに個別をおしなべて画一的なものにしようとする、心性が隠れている。それこそが、すべてを計量可能だとして似たものにする、全体主義なのである。

全体主義は、決して資本主義に特有の社会形態ではない。ソ連のスターリン主義に見られるように社会主義にも全体主義は発生する。全体主義の発生する基盤は、まず大衆社会の成立である。社会が全てのその地域に居住する人を成員として、全住民が社会に組み込まれた社会が大衆社会だが、そこでは、まず全員が生活するのに十分な物資が必要とされる。それ以前には、社会は一部の有産階級や貴族達だけを社会の成員としていたので、数も少なく、手工業のレベルで、社会の需要の必要は賄えたのだ。しかし、全住民が社会の構成員となると、人数が飛躍的に増加し、物資の供給がこれまでの手工業では間に合わない。そこで、必然的に必要が発明の母となって、機械が発明される。これが近代に起った産業革命である。産業革命の結果機械による自動過程を経て、我々は同じものを大量に手に入れるシステムを手に入れた。オートメーションによる工場システムだ。こうして、市場には、同じものが大量に並ぶ大衆社会の構造ができ上がる。同じものに囲まれた生活の中で人々は、次第に同じような考え方、同じような生活を送ることになる。

そのようにして、我々は個別性を失って入れ替え可能な、工場の歯車の一つにされていったのだ。「自分らしさ」「私なりの」といった、現在の日常でよく使われる言葉はこうして、我々が我々自身でありえない状況に基づいて発語されているのである。自分自身であることの不可能性、という言葉はモーリス・ブランショによって使われた。彼はナチスの強制収容所から生還した、マルグリット・デュラスの夫を見て、この言葉を使ったのだが、自分自身である事を徹底的に奪われた、六桁の数字と化した収容所の「囚人」達は、私をなくした我々の偽りない姿にすぎない。収容所こそ、我々の故郷なのだ。  

とまでは、皆の認識が到達しえたとは、いわないし、私のこうした意見に反対の人もいるだろう。それでいいのだ。この会で意見の画一的一致を見る必要はまったくない。バラバラであること、それが我々の強みでありたい。我々は、どこからどこまでも、徹底した、相対主義者でありたい。相対主義こそ、全体主義に対する唯一の対抗軸である。唯一絶対のものは、社会に存在しない。神も王も真理も定理も唯一絶対はどこにもない。これが20世紀が終らんとしている時に我々が到達している唯一の考えである。しかし、このように言った瞬間に我々は自己矛盾に陥っている。唯一絶対はない、といいながら相対主義こそ絶対だと言っているからだ。要するに、全てを疑え、という事である。懐疑主義と相対主義はくっついている。

懐疑的相対主義が20世紀の大いなる遺産である。19世紀の終りから主張されるようになった相対主義はまさしく世紀末の最後の哲学なのである。マッハやジンメルやベルグソン、ニーチェまでおしなべて「生の哲学」と呼ばれた或る哲学の流れは、20世紀になって、現象学となっていったが、そこに流れているのは、徹底した懐疑主義であり、相対主義であった。マルクス主義の中でもローザ・ルクセンブルグやベンヤミンを除けばレーニンを始め大方は、基本的に相対主義に反対であった。革命の大義のためには、あれもこれもを並べて比較してしまう、相対主義は都合が悪く、彼等は唯一絶対のプロレタリア革命のためには、全てが許される、前衛党の指導部の命令は絶対で、無条件に服従すべきものだった。こういうレーニン的前衛党の考えからは、スターリンの一党独裁は自動的に導きだされてくる。ソ連という国は、一番初期を除けば共産主義であったことはない。ソヴェトという国民国家の議会に代わる全く新しい政治の機構を発明した事が革命の画期的なところだったが、レーニンやスターリンやトロッキーは結局ソヴェトを空洞化してそこから権力を奪い去り、党に権力を纂脱した。  思いがけず、法外な論を展開してしまった。

だが、写真塾は、こうした、我々の生きている現在を歴史に拘束されたものとして、可能な限り認識して、写真を撮るという行為を歴史的、かつ社会的行為として成立させていきたい、と私は考えている。以下に写真塾の成立からの軌跡を断片的にしても、記録しておきたい。