テキスト・アーカイヴ
■1996年への葬掃(初出:会報36号)
不快な年だった。95年は欝病で苦しんだが、今年は、その余韻が残っていて、年中精神的に不安定でおちつかず、足が地に付いていないような、何をやっても不足感が残り、し残している事が沢山あるような気分が続いた。個人的には、自分の本を3冊も出してもらって、幾らかは晴れ晴れしい気持ちが出てきてもよさそうに思うが、一向にそんな気分になれず、一年を通して暗く重い気分であった。もっとも、このような時代に生きていて楽しい気分一杯というのも変だろうが。  

原因の一旦は知れていて、自分のプロとしての仕事である「20世紀の記憶」シリーズが、一向にスタートをきれないまま、つまらぬ会議ばかりが続いて、自分が次第にこそぎ落とされて、薄ペらな皮の如き存在になっていくのを経験していたからだ。  

今年は、2度辞表を書いた。いい加減会社勤めのサラリーマンという職業を辞めたいという願望が年毎に強くなっていて、この分だと、後数年もつかどうか、というところだろう。50歳を越すと、突然後わずかの余生しか時間がない事に気付く。自分にこの後出来る事と不可能な事とが、極めてはっきりと見えてくる。俺はもうこんなことしかできそうにない、という自覚は、明確に一つの諦念に他ならぬ。自分の分というものが見える。高望みを幻視していた頃とは全然違う気分がそこはかとなく出てくる。  

能力のなさ、叶わないという諦め、そうした自分の駄目さを徹底的に思い知らされるのだ。ただ思い知るのではなく、はっきりと自分がそれまで、こうありたいと考えてきた自分のイメージに届かぬ未熟で、大した事のできぬ、能無しの出来損ないに過ぎないのだ、という事を、自分自身で明確に知ること、恐らくこれが、自分を知る事なのだ。その時に、ある超越者を想定して、宗教的な方向に逃避する事は、私はいやだった。あくまで、この出来損ないに付き合う事、出来損ないの出来損なった自分自身に付き合ってくれるのは、まさしく私だけしかいないのだから。酒をのんで、我を忘れたい、という願望で、酔っ払っては随分他人様に迷惑をかけ、絶交されたり、愛想づかしをされた。この数年は、私が一番友人を失った時期だ。その友人達に済まない思いだ。元が一人っ子の甘ったれなのである。寂しがりで、臆病で、引っ込み思案で、意外かも知れぬが恥ずかしがり屋で酒を飲まぬとよう他人と口がきけん、というところがある。そんな事はただの言い訳にすぎない。精神が弱いのである。私の物言いが時に挑発的になるのは、そういう弱さから来ていると自分では思っている。  

ところで、この写真の会会報に書いてきた私の文章を纏めてくれる、という話しがある。毒舌や私への抗議の手紙や葉書まで収容してしまおうか、と今は考えている。当然相手がそれをOKすれば、だが。  近年の写真の流れは、ヒロミックスとか長島有理江とか野村佐紀子とかの自分の身の回りを撮った私的で感覚的な自身へのナルシシズム的な感性を全面的に信頼した安易なる自己肯定者達ばかりが、もてはやされ、それにはそれで、メーカーサイドからする流行の捏造の気配があるだろうし、若いものに媚びる卑しさもある。『写真のよそよそしさ』の後書きで触れたが、こうした他人や世界や社会に関心を持ちえない異様な自己中心主義者達の写真には、私は退廃しか感じられない。私の感性が病気なのかもしれない。どの道出来損ないなのだから。ともあれ、私は、この手の写真は好かない。見る気がしないから、ほぼ無視している。この種の無関心が、多分ナチスが台頭してくる時にドイツを覆っていた空気に通じているのだ、と私には感じられる。だから余計に憂鬱になる。この手の写真には概ね意見がない。なにも表明していない。意見は専ら個人のものであるが、私的な事にしか興味を示さぬ人達には、意見が欠落している。そこにあるのは、概ね「世論」という意見の死である。意見の死こそ無関心の本質に他ならない。私的生活への閉じ籠りは、この滅茶苦茶な社会に生きていかざるをえない者の当然の権利に他ならないが、その権利が一層社会を少数の支配に都合のよい状態を下支えする。大衆社会では、人はlonlynessをただ一つの共通感覚としている。つまり、皆が愛情乞食なのだ。すぐに褒めたがられる。privateというのはもともと欠如している、という状態をいい、つまり、人が自由を感じる事のできるpublicな空間の無いところ、をいう。私的ということは、公的空間の欠如を意味していた。私生活に欠けているのは、他人である。私生活者のすることは、他人にとっては意味も重要性もない。私生活者に大切な事も他人には関心がない。従って私生活者同士の間には、互いの無関心だけがあって、どちらも相手は、自分にとって利用するためだけの「あれ」「これ」の物の存在でしかない。そこでは、私と「貴方」という関係は成り立たない。写真を撮っても、相手は貴方の写真に何の関心も示さないというのが、私生活者の行為の構造である。そもそも、写真を撮って他人に見せる、という行為は、私生活者の行為ではない。そこに、根本的な錯誤がある。だから、この手の写真は見せられる必要のない、どうでもよい写真なのである。そんな写真に展示のスペースを与えるのは、はっきりいって間違ってさえいる。勝手にさらせ、と思ってきたので、批判するより、からかってしまう事ですませてきたが、とんでもない。あの手の写真はやはり、しっかりと批判の対象なのだ。すでに社交性というものは崩壊した。人の共通感覚は2+2=4という足し算くらいしかない。そこまで、社会が底を割ってしまっている。事態は考えているより、はるかに深刻だ。深刻ぶってばかりでも仕方ないから、せめて、どうせ不成功に終るとしても、やはり、生きるには何らかの希望が必要だとすれば、生きるためには、明るさがいるのだ。明るい、という事と軽いという事とが同じだと誤解されているようだが、存在は確かに今軽いが、時代は暗い。我々は「暗い時代」に生きているのだ。だから、光を、薄明りでもよい、明りがいる。だが、自分の存在は、軽やかではあっても、軽い存在であっては駄目だ。浮遊する軽やかさ、は必要だ。しかし、軽すぎては元も子もない。  

潮田登久子の写真集は、『冷蔵庫』というものだ。ころんな家にデンと存在感をもって置かれてある冷蔵庫を十数年も撮ってきたものだという。前から気にはなっていたのだが、こうして一冊の本となって現われると、そこには、冷蔵庫というものの重さと空疎さとがものの見事に捉えられていて、私は脱帽した。結構中味が詰まっていないガラガラの冷蔵庫も多い。かとおもうと、入り切らない程溢れかえるようなものもある。現代文明というものを、言葉ではなく伝えるとすれば、これを見せれば良いのではないか。瀬戸正人の「部屋」や数年前の「TOKYO STYLE」もそのような、文化をそのまま伝える内容にあふれていたが、この写真群も同様のレベルを持っている、と私は思う。ほとんど人は写っていないが、中に一枚子供が二人冷蔵庫を開けて何やら食べている写真がある。この一枚が象徴的に現わしているように、冷蔵庫の主役は、子供達なのだ。文明が幼稚化していることがここに見事に捉えられている。人類史は、一回りして、生まれた所に戻っているのだ。年よりが粗末にされ、若いガキ共が幅をきかせているのは、既に文明は終り、原始社会以前へと、つまり弱肉強食の野獣時代へともどっているからだ。近代の歴史の中で語られ、造られた様々な概念や言葉の全てが、もはや無効なのだ。新たな言葉や概念によって変えねばならない。20世紀という時代はそういうところまで、人類を連れてきたのだ。  

荒木経惟写真全集は、全てが出たわけではなく、又出た巻を全部見た訳でもないが私が予想した以上に良いもののようだ。造りや構成にかなり良いセンスが伺え、これまでの荒木写真を並べ直すというのではなく、現在進行形で、日々撮られる新たな写真が随時加えられ、そのことによって構成が次々と更新され、中断され、別の意味やコンセプトに変更される、そのスリリングが、本に現われていて、素晴しい。この企画が成功するとすれば、この荒木のジャーナリスティクな、ゴダール的なセンスに依るところであろう。  

藤原新也の「全東洋写真」もアジアの暗い光を執拗に捉えていた。彼は、露出がアンダーに撮ったのではなく、このアンダーさがアジアの光なのである、と言う。そのほのぐらい明りの暗さに馴染む事はもう私達にはできないのかもしれない。だが、できる、できない、の問題ではないはずだ。社会的には、今や真っ暗闇じゃござんせんか。どこに薄明りでもあるっていうんです。藤原の写真を見た印象は確かに暗いが全体に斜がかかっているような、ぼんやりした、ボケが気になった。ピントがぼける、という事は中心をはずすという事だ。中心を求めず、分散している事、中央集権的な思考ではなく、分権的な思考と見方へと彼の目が旅の中で変質を余儀なくされたということかもしれない。それにしても、この編み直すという作業に、前のものとは別の何かが、生みだされる事が、こうして実際にあるのだ、と分かって、やはり、藤原新也の力量を改めて感じた次第だ。  

石内都と楢橋朝子の二人が始めた「main」=マンというFOTO MAGAZINEは96年中に3号目が出た。二人でニューヨークへ行ってきたようだ。その報告が載っていて、読むと二人の違いが良く出ている。石内は、三度目という事もあって、この町で何をしたいかがあって、R.フランクに会いに行ったり、杉浦邦恵に会ったりと一種ビジネスライクに動くと共に、コニーアイランドで泳ぐのだという願望を断然実現する等自分の行動が、計画された何かに基づいている。が、楢橋の方は、ただ異国の町にカメラを向ける事の方にかなりのエネルギーが注がれてしまって、そこでの自分の行動が客観視しえていないところがある。 但し石内のインタビュー等はなかなか面白く、写真家によるこの種の試みがもっとなされてしかるべきだった、と感じた。作家同士で作品や行為にたいして率直な話しが可能ならば、であるが。これは、N.Y.という異国でなされた、生活が競合せぬ人同士の間だけで可能だったのかもしれないからだ。私は、疑い深い性格なのだろうか。だがいろいろと試みる心意気や良し。  

近ごろ、パソコンの使いすぎか、右手の付け根が痛い。できるだけ、使わぬようにしたいが、結局こうして使うハメになる。これは今生きる物書きの業というものだろうか。いやだ、いやだ。  私は、書く事が嫌いではない。好きな方だ。ずっと物書きで生きたいと願ってきた。しかし、生命の必要上、編集者という職業に関わりそれで経済を得てきた。そしてそこで、それなりに仕事ができるようになった時には、もう老眼鏡が必要な年になっており、細かな現場的作業は出来ないという事態になっており、現場監督的な役目しか不可能なのだ。私の夢は、時間がかかろうとも、自分一人で、20世紀の本質をまとめあげ、一冊に仕上げる事だった。それが、ほぼ不可能となった今、私は虚脱し自分にも、時代にも愛想をつかしかけている。もういい、分かった。じゃあな、という訳だ。確かにこれじゃあ情けない。
 
もう  
これ以上  
生きて  
いたくない  
安らかな死よ

11/24

ROBERT FRANK『Thank You」』(SCALA96年刊・価格不明)

何故価格不明かというと、この本は大阪の楢木逸郎氏から、私の『DISTANCE』という本を贈呈したお礼の手紙と一緒にプレゼントとして、贈られたもので、本には、値段が書いてない。この本は簡単にいえば、フランクが1960年頃から知人から届いた絵はがきを集めて本にしたものである。ジャック・ケルアックから始まってロベール・デルピール、パブロ・フランク(息子)、ウォーカー・エバンズ、元村和彦、鈴木清、鈴木理策、ラルフ・ギブソンら私が知っている人達も入っている。それぞれに極めて個人的な私信に過ぎないが、相手が写真家であるからか、自分で写真を付してあるものが多い。しかも、圧倒的にタイプで打ったものより、手で書いたものが多い。何かをくっ付けたり、写真の上に字をかいたり、つまり、フランクの手法は実はこうした、他人から来た葉書類を見て、オモシロソーと感じたものを真似して見ただけ、と思わせようとしているかの印象をうける。葉書という短いスペースに情感をこめねばならないから、書き手は、皆できるだけ簡略で、無駄を省いた表現となる。それらをよんでいくと、フランクの写真に書かれる文字の原型もここにあったのかな、とおもわされそうだ。そーなのかもしれないし、それは、騙しかもしれない。どっち道一筋縄でいく相手ではない。

それでも、こういう、私信を数十年にも渡って捨てずに取っておく精神とは何か。まぎれもなく、それは、祖国を持たない漂泊の人のフワフワした夢遊の人である。私も人からもらった絵はがきをすてられずに、残している。この本が、いつか、私に別の何かをまとめさせてくれるかもしれない。前売りで買った映画のチケットの半券や展覧会のチケットの半券など、私が妙に残しているものが、幾つかある。それらを含めて、いつか、そういう一種ゴミのようなものの集合が、私というものを存在として、表す事になってくれればよい。いずれにせよ、楢木さん、有り難う。

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