テキスト・アーカイヴ
■書評・展評(初出:会報35号)
■松本路子「PORTRAITS」 (河出書房新社 1995年12月15日発行 5400円=税込)

1980年から女性アーチストのポートレートを撮り始めた。前著『肖像・ニューヨークの女たち』(1983年、冬樹社)から今度は世界へ広がっている。ピナ・バウシュ、ニキ・ド・サンファール、リラン、コレット、シンディ・シャーマン、ソフィ・カル、ローリー・アンダーソンに日本人では奥山民枝、草間弥生、木佐貫邦子、鳥養潮、合田佐和子、平沢淑子らが入っている。その人が一番居心地のいい場所でほぼ黙って撮影するのだそうだ。写っている空気がキリッとしている。湿っぽくも乾きすぎてもいない。  ただ、この手の写真集を見ていて想うことがある。同じ想いをアサヒカメラで倉石信乃氏が語ってくれていて、私は自分のもやもやした想いが何だったのかが氷解する気分だった。倉石氏は、「たとえば五味淋さんや橋口譲二さんの作品は、一つの主題のもとにカタログ化していく。最悪の場合ですけれども、一回ごとにそこに情報を流し込む箱のようなものとして主題があって、それを反復していけば一定量の作品が蓄積するといった、ある種の個人美術館的なものとして機能してしまう。そうすると、その個々のイメージというものが全体の箱に対して毎回奉仕する素材にすぎなくなっていくという危険性をちょっと感じるわけなんです。」と述べていて、まさしく、当たり。テーマ主義で写真をやっている人に往々にしてありがちだが、あるテーマの大円団のラストへむけた盛り上がりのためにそこに至るためのさまざまな副流を手段化して、個々の独自性を無視して結末の盛り上がりに奉仕させる材料にしてしまう、といったことが、比較的に無自覚、鈍感に行われている。本人は、社会派等自認していい気になっていることが多いから、被写体を素材化して、おとしめていても全然気づきもしない鈍感さがある。私が数号前に言いたかったことは、実はこのことだつた。倉石氏は昨年のロバート・フランク展のカタログに切れる評論を書いていて、私はそれ以来注目している人だ。会報の読者諸氏もしばらく彼の書くもの、発言に一時注意を持っていただきたい。やっと、こういうレベルで写真について語れる人がこの国にも出てきた。ひとまず喜ばしい。松本さんの仕事は、ここでいわれているような、被写体を素材化など全然していない。被写体への写真家の尊敬が根底にしっかりあるからだ。簡単なポイントはそこにある。被写体への尊厳を無意識に持たずに向かっている人は、往々にして被写体を告発したり、批判しようとしていることがままあるのだが、相手より自分が上に立って歴史の今という高見から相手をへいげいしていることにかなり鈍感であるように私は感じるが、どうであろう。



■井上青龍「釜ケ崎」/佐々木崑「麻薬地帯」 (コニカフォトプラザ 5月10日から20日まで)

前者が1958-1961年、後者が1960年に撮られている。昔の写真がなぜか揃って新宿に登場した。井上展は、岩宮武二事務所の同僚だった森山大道、大阪芸術大学での教え子に当たる猪瀬光、ヤマグチゲンが取りまとめ役をした。井上自身は1988年に徳之島で撮影中に事故死している。釜ケ崎は井上が自分自身を見る思いで通い始め、住み着いて撮影したもので、自己嫌悪と哀切とがないまぜになった感情で撮り始めたようだ。そうした内的な情感から撮られているだけに、いわゆるドキュメント的な眼差しとは極めて異なった眼差しが感じられる。それは、単なる共感でもなく、むろん批評的でもなく「愛と怒り」とがダブった複雑な複眼的眼差しである。のめり込んでいるが、対象とのあいだにしっかりした距離=distanceがとられていて、さすがに大阪を代表する写真家といわれるだけの目だ、と感服した。こういう人の写真を後輩、同輩らがコーディネイトする、ということに何ともうれしい感じがしたものだ。森山と猪瀬とがこういう形で繋がっていけるということ自体がうれしい。自分のことばかり考えている、自己中のがりがり亡者共も少しは見習ったらどうだろう。佐々木のものは、かつてアサヒグラフに連載されたもので、昆虫写真のベテランにかつてこういうルポルタージュを真っ向から撮っていた頃があったのだ。昔、神戸に住んでいた森山から、当時神戸の街を山口組のおっかないお兄さんと肩で風切って歩いていた崑さんの話を聞いた記憶があるのだが、この写真の舞台はもろ神戸で、たぶん森山が居たころの神戸なのだらう、と私は勝手に決めてしまった。ひょっとしたら森山が崑さんの写真の片隅に写っていても不思議はない、のだ。こういう不思議な縁で二つの写真展は結ばれている。いい展覧会だった。たいしたことも書けないが、何か書きたくなる雰囲気が醸しだされるところがあった。崑さんは、案内状を出した人には、ご自分でワープロを叩いて造った自家製のパンフレットを用意されて、配っていた。若い人はこういう写真家のこまめな行為をちゃんと手本にしてほしい。金かけて、立派な冊子を作り上げるだけが能じゃない。こんなふうに自分の写真展の記録をきちんと見にきた人に手渡していく、地道な行為だが、崑さんの人柄が忍ばれることだ。大切に伝えたい。二つの写真展を見にいったあと、第8回写真の会賞の受賞パーティーだった。今年は凸版の製版者と印刷のベテランを招いたもので、会の途中で、対象となった写真集の印刷についてレクチャーしていただいた。不況でカラーの需要が冷えていて、難しくて儲からないモノクロームの仕事はますますやりづらい時代なんだそうだ。しかし、写真家ではない人に初めて賞が与えられて、後輩たちにとても良い刺激になる、と挨拶され、失われようとする日本の印刷術の質を伝えていく張り合いにもなった、と過分なことばいただいて、とても嬉しい会だった。大阪から妹尾豊孝、楢木逸郎が参加し、当日の参加者30人、3時間があっという間だった。またもう一回、会を続けて、来年もこの楽しさを味わいたい、と思った。



■尾仲浩二『遠い町』 (MOLE 1996年4月15日発行 2900円=税込)

1994年にアサヒカメラに1年連載したものに後から撮り足したものを加えて編集されている。前作の『背高あわだち草』より格段に巧くなった。画面から詩情が香立つ。リリシズムというか、師である森山大道のリリシズムを彼が一番受け継いだことになる。才能という面では、たしかにピカッと光る。なにしろ香立つくらいだ。だが、私はここでもまた倉石氏が述べていることが気にかかる。倉石氏は北島敬三について語っていく脈絡のなかで次のようなことをいう。「こういう試みというのは、いつ終るかということがわりと大事なことじゃないかなあという気はするんですね。……例えば経済的な画廊のシステムとか、美術館の展覧会のシステムとか、そういうものに合った形ではじまったり終ったりしていく作品というのは非常に多い気がします。そういうシステムからなるべく自由な形で作家がどこでそのシリーズを終るかという問題を考えるとき、その作家の表現というのがかけがえのないものになって残っていくはずだという気はするんですけどね。」たどたどしいが、ここで言おうとされていることは、現代芸術における根源的な部分に触れている。終り方が作家の表現の根本なのだ。辞め方といってもいい。民主主義、自由の最も基本的なものは何か。それは、何よりもNOという権利、いやだという権利なのだ。組織の自由さは、そこから脱退する権利がどれだけ保証されているかによって決まる。離婚を前提とせぬ結婚には自由はないのだ。参加する権利よりも脱会する権利のほうがより基本的なのだ。YESよりNOのほうが大事なのだ。「する」ことより「しない」という実際行為として目の前には現われないことのほうがはるかに大事なのだ。表現することより、表現しないことのほうが。「しない」ことこそが実は「行為中の行為」にほかならない。同じように、始めることは、目立つしそれも無論大切な行為にちがいないが、それ以上に終ることが大事なのだ。当然その間には、続ける、維持するという困難な努力がなければならないが、そんなことは当り前のことで、そこで苦労話しなどしているようでは、終りはたかが知れている。小さな終りである、中断が大切なのもその故なのだ。小さな始まりである作家の変化、「変わる」ということ、より中断のほうが私は大切だと思う。尾仲の巧さが暫くはこのテンションを維持させていくだろうが、問題は何時どのように終るかだ。そこを間違うと巧いだけに流す血は多くなろう。尾仲君、巧さを憎め。巧さを脇に押遣れ。巧さに頼るな。巧さを捨てることはないが、巧さを見せるな。巧さしか見えなくなったらおしまいだ。おしまいと終りは全然ちがう。焦るこたぁない。才能は群を抜いているのだ。才能を発揮しないのもまた立派な才能なのだ。巧さを発揮しようとするな。それから他人の評価を気にするなといっても、無理だろうが、誰に評価されるべきか、を見誤らぬよう。賞というのは、誰かに褒めてもらうことだが、誰彼なく褒めてもらえりゃいいわけではない。褒めてもらうと、損する場合もあるのだ。そういう意味で、評価などあまり気にしないことだ。世の中眼を見開いている人は少ない。私はそう感じる。皆さんいかがであろう。



こういうことは書かないほうがよいのかもしれないが、或文章に触れてしまった。それは、藤田省三氏の「小論集2」(影書房)の「文化における抵抗感覚の風化」である。ゴールデン・ウィークに新聞を読んでいると、毎年のことだが、春の褒章、叙勲とやらの仰仰しい発表があり、そこに知っている名前を見つけた時の感慨だ。ああ、この人もか、という。昨年、紫綬褒章というのを、私が尊敬する写真家が受賞してその名を見た時には、えぇ?、と一瞬信じ難い思いがした。この人の先輩に当たる浜谷浩氏はかつて、文部大臣賞(芸術選奨)を辞退された。丁度歴史教科書問題で日本政府が韓国や中国の抗議を受けている最中だったように、記憶している。そういう、政府から褒めてもらいたくない、というような意思だったろう。まして、褒章とは、日本政府に、褒めてもらう、のだ。無論褒めてくれるその相手を認めないでは、褒めて貰えない。受賞者は政府(日米安保を推進し沖縄に基地を容認し、薬害エイズ問題を隠蔽し続けた政府だ)を認めることを前提とする。褒められて一本とられる、というのはこのことだ。今年もまた一人知り合いの写真家が叙勲されていた。受賞を受けるか、どうかは無論個人の自由である。他人が受けぬほうがよいとか、受けなさい、とか言える筋ではない。私もそういうことをいうつもりは、露もない。しかし、そこに「それぞれの後ろ姿や秋の風」と芭蕉の一句をひいて清々しく達観している、というわけにもまいらぬ何かが私の中にある。若い時に政府や権力に対して強い抵抗の念を抱いていた者が壮年、或いは老年に到ってその抵抗感を持っていた相手から褒めて貰い、何らかの経済的な支援を受けるということ、に対してどのような低抗感があり、どのようにそれをのりこえられるのか、若輩の私などにはまだわからない。受賞されている写真家はそれぞれ私が立派な写真家と認識してきたし、確かに立派な作品を残された。それだけに、或地位や権威を拒否する意思を持たれぬ人は、受賞の整合性を自分で納得するために、以後、地位や権威のもたらす実益の効果に依存して、人生を緊張感を保って生きることが難しくなるのではなかろうか。後は余生で別に悪いことはない、が、それではまさしくいっちょう上がりの線に安易にのりすぎにならないか。或空虚さが出てこないか。「それは一つの苦痛であるにちがいない。」人生の目標がまさか褒章などによって真っ当されるようなちゃちなものではなかったはずの方々だ。ますますの地位向上をめざされる、なんてことはないだろうし、戦後50年、日本の民主主義や社会矛盾に正面からシニカルな目を向け、我々を驚嘆させる写真を撮り続けてこられた方々がここにきて、俄に向こう側へ簡単に行かれてしまうのは、何とも寂しく、悲しい。決して非難しようと思っての物言いではない。率直な感想だ。辞退、辞表など、何かを辞すという身の処し方にその人が誰であるか、が最も端的に現われる。いやだ、という態度に人の正体が出る。藤田氏が「抵抗感の喪失」と呼んだ現象が今私の身近かで起こっている。私自身の身に引き替えて身をひきしめねばならない。無論生活の権利が誰にもあるのだから、等しく叙勲や褒章の受賞(まして写真等の賞)が悪いなどというつもりもないし、やむを得ぬ場合もあろう。しかし、写真家は写真で糊口をしのぐのが、常識であろうし、稼ぎの悪い職業を選んだのだとすれば、その責もご自分にあると思うが。言った以上私自身が間違ってもこういう受賞とは無縁にちがいないが、心していたいとは思っている。(紫綬褒章とは、文化功労の分野で立派な行い、功績のあった人を表彰するために国から与えられる記章。叙勲は、国家や公共事業に功労のあった人に勲等を授け、勲章を与えること。辞書では叙勲を引くと褒章も参照せよという印がついていて、ともに国の褒める行為であることが分かる。)



広瀬勉の「型録」は、18号を出した。帳(とばり)というタイトルで名古屋の女を撮ったものだ。私的なものだから、行方不明になった昔の女への決別をくだくだ書いて配るのも人の勝手だろうが、そして、いやなら、読まねばよいのだし、それについていちいちなんだかんだと他人が言う必要も義務もないのだが、朝日の書評欄で小言辛兵衛なんて、いいあだ名をいただいたので、辛兵衛にならせていただいて、今後小言の一つや二つは、辛兵衛的勝手と心得ていただいて、お読みいただきたい。しかし、広瀬も結構大変な恋愛してたんだねぇー。金もかかるし、時間もかかる。「何かチョコットまともなこと」やってたんだ。結構じゃねーか。暫く以前には、女にはふられるし、雨にもふられるし、なんて書いてた人がやってくれるねぇ。でも、文章に、今度のはハキってもんが欠けてる感じだな。未練あんじゃない。「死ぬまで会わなくとも大丈夫なつもりの別れをしてきた僕」ってしゃーわせもん。め。こういうくだらないことをいわれたりするから、こういうことは書かないにこしたことはないのだ。いくら私的な、とはいえ発表する以上もう公的にさらしているのだから、心すべきところだ。こういう時に文に付いている写真はほとんど、のぞきの世界的興味の対象であって、そうならなければ、全然無視されるか、のどっちかだ。いいも、悪いもない。選びがちょっと遠慮しすぎていて、もう一つんって引き込まないね。ま、広瀬君のまた一つの恋が終って、もう別のが始まってるようだから、次はもっとドギツイのを期待しよう。ついでに、広瀬君が、「塀帳」(へいとばり)という写真集を出した。ブロック塀ばかりのものらしい。彼はどういう次第か10年以上も塀の写真を撮り続けていて12年分のネガから選んだという。人との間にいつも帳(とばり)が垂れていて、それが一枚の写真だと例える、とすると、チョットできすぎだ、とは本人が分かっているらしい。駄じゃれの一つもこう意識しては、広瀬もつらいよなぁ。御同情申し上げる。 「回転3」という雑誌も送られてきた。200円する。50ページある。森本美絵と佐原宏臣が出している。はっきり言って緊張感に欠ける。なぜ、この一枚か? という写真選びの厳密さはゼロに近いとしか思えない。編集者という第三者が選びに介入していないぶん最近の写真は甘すぎるし、ダレている。自分で金出して誰にも文句いわれず、好きな写真を好きに発表したい、と思う気持ちは分かる。が、そのことで、己に対する甘さが前面に出過ぎてしまう。大体殆どの同人誌や個人誌はそこのひとりよがりで自滅する。勝手に始めて、勝手につぶれるのだから、ホットキャいいのだが、見せられるほうの迷惑ってもんもあるのだよ。明智君。自分のやりたいことへの、まず、禁欲。自己抑制が最初に要請される。君達が、そうありたい、とまず願っている、私のやりたいように、という欲望を最初に抑制しなければ、ならないわけだ。お気の毒に。そうでなければ、他人に本当に届くものはうまれないよ。編集者というのは、そういう自我を抑制するためにいるのであって、君達の勝手な欲望を邪魔することも役割なのだ。野放図に欲望を垂れ流すことと表現することの区別を知らない人達に警告しておくが、欲望自然主義は駄目です。貴方の欲望など全く撮るに足らないゴミのようなものです。やりたいことをしない、という禁欲主義からまず発せよ。「しない」という非行為は実は表にあらわれない。しかし、私は人を殺さない、とか、嘘をつかない、とか、約束は破らないとか、私達は最も大事なことは、大抵「しない」という否定形で語るではないか。つまり、ものごとの一番大切なことは「しない」という表にあらわれぬ、常に裏にしかない「ない」のなかにある、ということだ。「しない」という行為こそ、「行為中の行為」といえるのだ。50数年前のあの戦争に貴方はどう関わったか。戦争に協力しなかった、というその「しない」である。写真も撮ることより、撮らない、ことのなかにその写真家の本当の姿がかくされているのだ。人を戦争に駆り立てるような写真を撮らないこと、人を騙すようなものを撮らないこと、そういうことが一番大事だ。発表し、評価されることばっかし望んでいる愛情乞食が幅を効かせている世の中だ。大したこともしていないのに、大層な賞だけはもらっていて、肝心なものは当然もらっていないことにはまるきり鈍感な人もいっぱいいるが、そういう愚かな人達のことは放っといて、私達は写真の会という小さいが「しない」ことに常に敏感であるような感性に依って写真に関わっていたい。辛兵衛としては、まだいいたいことはあるが紙面を独占しかねんので遠慮する。



■ゲルハルト・リヒター『写真論/絵画論』 (淡交社 1996年4月15日刊 2500円=税込)

4月の終りに初台のワコウ・ワークス・オブ・アートという新しいギャラリーでこの元東ドイツ出身の画家の作品を見て、その場で買い求めた本だ。若い写真家に是非読んで欲しい。何故なら、リヒターがここで小難しい批評家のインタビューに答えて、いや、反論して喋っているレベルというものを知っておいて欲しいからだ。絵画の現代的展開の過程に関する知識、そうして芸術が否応なく巻き込まれる政治的・社会的状況に関する的確なコメント、現代絵画の文脈に無理やり押し込もうとする批評家に対する個人的な動機の断固たる擁護、そういうさまざまなリヒターの受け答えの中に感じられる作家と鑑賞者との決定的なズレ、決して伝わらない、ということを知りながら交される会話の持つ或豊かさ等等この国の美術界では、まだない水準がここには確かにある。絵画がここまで来た道筋に対するある意味で当然の関心と知識を前提とした会話が、当り前のこととして語られることの気分良さ。日本のアーチストもこのくらい当り前にあって欲しい。「図々しさ」が「根源的である」ことと同義だ、というリヒターがかなり最初のほうにでてきて、私はまずここでほーっ、判ってるねと思った。続いて「未来の設計図のようにも理解できるが、それをはるかに超えるもの。つまり、教育的ではなく、論理的でもなく、ずっと自由で、どんなに複雑でもなんの苦労も感じさせない、そういう絵画」を描くこと、絵画ではそれが達成できないことを良く知っていながら、なお「なにが僕の手段で、その手段でなにを表現できるか、ということ」を知っている絵画を通して追及していくしかない、と語る画家を私は信じたい。それに足る作品を私は見ている。彼の絵は素晴しかった。絵の具の材質感と作品の制作過程とそして描かれた内容がカオスとなってまさに美しいという感覚に私を導いた。最近の森山大道の写真にもそういう赴きがある。このカオスは果たして一過性の奇蹟なのか。世界が奇蹟的に姿を現わす空間をこのように生みだす作家だけが、作家と呼ばれるのだ。そのリヒターが「偶然に頼らざるをえない」自分を欠陥と感じていた。偶然とは「開かれている」という彼の作品の構造によってもたらされるのだが。このように完結していないことは、より現実と関わりあっている、ということに他ならない。作品が未完であること、通俗化を限りなく許容していること、つまり無限に複製でき反復が構造化さえしていること、このマンネリズムの中に偶然が神の恩寵の如く忍びいる時を用意するのだ。芭蕉の俳句を思えばよかろう。若い写真家諸君本当にもう少しまともに勉強していただきたい。写真しか知らないのでは通用しないし、まして写真も知らんのでは話にもならんよほんまに。現実や時代と本気で対峠する時にだけ君たちは写真史と本当に交差するのだ。その四つ辻にのみ奇蹟的に世界が現われる可能性があるんだ。