テキスト・アーカイヴ
■写真時代のワキに佇む写真家・クワバラ(初出:会報33号)
私は昨年春父を亡くしたが、何と桑原さんは父と同年の大正二年生まれであった。

私が富田茂男と飲みながら、桑原さんの『東京昭和十一年』(晶文社)が絶版になって久しいのになぜ復刻されないのだろうか、などという雑談をしたのは1993年の1 月の頃だったと思う。当時竹橋の近代美術館でセバスチャン・サルガドの写真展があって、私はインタヴューをしたりして、富田君や「デジャヴ」の澤田陽子女史らと知り合った。澤田女史の調べでは、晶文社版の再版の過程で何かトラブルが発生して、絶版になっているようだ、ということなので、何とかリニューアルできないものか、と鳩首飲談する中で、ちょうどパリで刊行された『ATGET PARIS』(HAZAN) が眼の前に現われ、たちまち、桑原/東京ができないか、という望念が場を満たし、さっそく、私が桑原さんにその主旨の手紙を書く、ということになってしまった。アッジェほどの量が果たして桑原さんの所に有るのか、また有ったとしてそれらはどんな整理保存をされているのか、などという、考慮さるべき編集セオリーの段階を踏む、ということさえ考えずに、いきなり私は監修者として翌日桑原さんあてに数百頁の東京に関する桑原さんの写真をすべて網羅した分厚な写真集を造りたい旨の手紙を書いていた。とっかかりは実に突発的で礼を欠くいきなりのものだったが、いま思うと、あのハネ上がったバネがなければ、これはできなかったかもしれない、とも思える。

桑原さんからは、身勝手な息子たちを迎えるような優しい返事があって、2 月のある日馬事公苑そばの桑原さんの家を訪ねた。このマンションは奇数階の入口が一つ下の偶数階にあって、入ると階段で二階へ上がっていくようになっていて、そこが住居となっている階上家の感じがあって、キッチンを左に見て過ぎると、そこが桑原さんの書斎兼居間になっていて、本がうず高く平積みになっていて、大きなテレビ画面があった。真中にテーブルがあって、そのテーブルで実は私たちは、その後足掛け三年にわたって、桑原さんの写真を何千枚も見させていただくことになるのだが、このそこはかとない適度な薄暗さを漂わせた部屋で見る作業ができたのは大変ありがたかった。殺風景なネガ倉庫のような所で写真を何日も選ぶために見る作業をしたこともあるが、選ぶ環境は、確実に選ぶ者の情緒に反映し、まず疲れ易く、飽き易い作業なので日常空間で仕事ができるのは小さな変化が自然にまわりに起きる点で、雑談のように写真を見ることができるので、選びに理論的で知的なシバリがかかりにくくなり、情緒が選ばせるハミダシものがひっかかり易くなる。そのことのメリットは、第一次選びでセレクトした写真を構成して配列を定めていく、「組み」の時に、写真の軸となっているものの流れからはずれる異物として、逆に流れを変調する時の基点に利用できる写真に困らない。あまりに、ストーリー性にこだわって、同質の写真をズルズルと並べたてては、飽きてしまうので、組み作業で、並べる当方に視覚的に飽きが来た時に、フッと眼を止めて思考、筋立てを中断できるズレをもった写真は案外大事なものであり、流れと中断のリズムが読者が頁をくって見ていく時のリズムの快不快を決める。

二、三時間写真を見ている内に桑原家では必ず、お茶となる。時にはビールになって、その日はそこまで、となることもあった。そういう作業が幾度も繰り返されたのだが、不思議なことに、何回見ても、これで終わり、ということにはならない。次から次に、まだ見ていない写真の箱が出てくる。そうして見ていると、待てよ、同じ写真を前にも見ているぞ、と思うものが次々に出てくる。桑原さんは、もともと「カメラ」「カメラ芸術」「サンケイカメラ」「季刊写真映像」「写真批評」など戦後写真界でずっと編集長をしてこられた人なのでつまり写真家としてはアマチュア精神で撮り続けられた、写真発表する時には、その折々にラボやプリンターに焼きを依頼してこられたので、その折々のプリントが箱になっていて、箱ごとに名作はダブってプリントされて重複しているのであり、箱がいくつあるのか、当の桑原さんも把握しておられず、誰かが写真を貸して欲しいと言ってくると一箱を見せ、箱ごとその誰かが持っていって、ある日返しに来る。そうすると、又新しい箱が私たちの前に現われるのだ。写真は焼きによって全然別ものになることが眼で実感されたが、ともかく数千、数万枚を見て、荒選びをし、これを新潮社のホールに持ち込んで並べたのは今年の冬だった。

一気呵成に二日の作業でほぼ並び終えた。桑原さんの写真的記憶の始まりとなる二・二六事件の雪の日から始まることだけを決めていたが、あとは電車好きの病弱な少年だった記憶の内に転回する遠い走馬燈の如きオボロな幻想を私の眼と想起に頼って作業した。渾身の作業で、終えて見てホッとしている。過ぎ去った時を想起することの愉悦に満ちた三年だった、と思っている。桑原さんの写真は「時代の埒外にいて」しかも「時代といっしょに呼吸することは忘れない」とご本人が言うように、ナマナマしさから一歩間隔を保った写真だから、人にも時代にもシャイに向き合っていて、さらに芸術や表現を追求するという生真面目さからも自由な「日曜日の写真家」である不定形の故に昭和という時代の記憶を映す鏡=銀板となっているのだ、と思う。記憶の核心は東京に他ならない。

(桑原甲子雄『東京 1934〜1993』写真集への文章の元原稿、現実の本には改稿したものが収録された)