テキスト・アーカイヴ
■東松照明『長崎〈11:02〉1945年8月9日』(初出:会報32号)
土門との『Hiroshima Nagasaki Document 1961』『〈11時02分〉NAGASAKI』に続く東松長崎の2度目のリニューアルである。長崎シリーズは4冊目という。『太陽の鉛筆』もリニューアルしたいものだ。

被爆50年という機会を得て、生かされたと思うが、今年春の叙勲で紫綬褒章を受けてから、はじめての本である。巻末に英語の訳がついており、国際版をめざしているようだ。9人の被爆者で章を構成する仕方で再編集され、1961年の撮影開始から、その後通いはじめての写真を含め、66、67年頃までの写真が含まれている。

もっとあとの80年代に浦川志津香さんが結婚する折の花嫁姿の写真など、かつて見た最新のものはなぜか入っておらず、彼女に何かあったのだろうか、と思わせる。61年に大浦地区で撮られている三文判がギッシリつまった箱のガラスに撮影者が写っているものなど、未見の写真もあり、やはり見ごたえは十分ある。

高名晶子さんが書いている。戦後、長崎では三菱で働いていた28000人が整理された、1947年までにである。長崎の産業がよみがえりの端緒を開いたのは朝鮮戦争による特需であり、50年からなのだ。

被爆者という重い犠牲者を軽くするためではないが、その被爆者さえも、朝鮮戦争という他者の大量の血の犠牲によって、生きていく糧を得ていくという構図、日本人がヒロシマ、ナガサキをいう前に南京を、強制連行を口にしなければならぬし、朝鮮・中国や比国のカラゴン血の入浴などというアジア人への加害こそ先に話されねばならぬのだ。その構図の逆転のみが、ヒロシマやナガサキを口にする条件となろう。

唯一の被爆国などではない。チェルノブイリやセミパラチンスクやビキニやネバダにも蛇やヤシガニやさそりやサボテンを含め(在韓、在朝、在中、在日も)世界中に被爆者はいっぱいいる。そういう世界を見ずにヒロシマなど語っても自業自得になるだけだ。

知りたくないことだから/知らないのだ/世界はそこに在るのに/誰も見ない/日本は亡んでしまえ なお、沖縄では「戦後50年 東松照明展|─戦後日本の光と影」という写真展が7月4日から9日まで(沖縄タイムス主催で那覇市民ギャラリー)開かれた。(東松さんからの資料送付で知ったことですが。西井)