テキスト・アーカイヴ
■砂漠化する臨終都市への眼 山内道雄『上海』(初出:会報32号)
山内道雄はずっと長い間、東京の街路の人ごみにカメラを向けていた。それは、ダイアン・ア−バスの「街で人とすれちがい、目にうつるのは本質的にはその人の傷、欠点です」という言葉に誠実に影響を受けたと思われるように、身体や精神のどこかに「傷、欠点」を持っているように見える、荒い砂のようなトーンで撮られた人びとが多く目についた。それが山内の写真の臭さであり、力強さでもあったわけだが、我を通す限界でもあった。硬さがしなやかさを受けつけないところがあって、それが山内の視角を狭めているように感じられた。生真面目で誠実な個性が、どこか痛々しいような印象になっているところがあった。トンがってルな、というほどのものだが……。

その山内の小刀で削られた鉛筆の芯の如き粗いトンガリは、今度の『上海』にも十分貫かれている。しかし、『上海』は、トンガリがトンガリのママ千枚通しのように通っているだけではなく、ミシンでいえばジグザグ縫いを覚えたような目つきの幅が生まれている。3冊目にして初めて写真集だ、といえる。

芯がアイマイになったジグザグ縫いは、行き先不明な動揺にすぎないが、上海という異都に行った山内の確かな揺らぎは、千枚通しのように深く長い芯が本物だったために、到着して街に踏み出した最初の驚きから、おそらく再見のまなざしを高層ビルの魔都にくれる別れの瞬間まで、街を歩きながら見る彼の視角の芯は貫き通っている。我軸は変わっていないのに、なぜここでは幅が生まれているのか。

東京に比べ、街中にある人の顔は想像以上に多様であり、写真を撮ること(特に目的もなく)は、まだはるかに他人に奇異であり人だかりを生む。上海ではカメラマンは透明人間ではなく、高価なカメラという近代機械を操作する特殊な人として注目を集めてしまう存在である(少なくとも私が行った9年前には)。そういう勝手の違う都市で、普通なら視角が相手によってアヤフヤになってしまうのが、山内の培ってきた、狭いが細長い千枚通し的な視角の深度が幸いして撮りたいものだけしか撮らないという手前勝手が、撮れる(あるいは撮らせてもらえる)ものしか撮れない、という外からの制約とせめぎ合って摩擦を生じ、擦過傷ができる、このザラザラが異国ではごく当然のことに感じられる。

東京なら不快の素が、異国では異国にいることの実感、手ごたえと思える、そこの心の緊張から来る己の縮小、つまり自己中心から、他者中心へ比重が若干移るところで凸的視角から凹的視角への受容型の心境が生じる、というような構造が、眼の幅、すなわち奥行きを生むのだと私は思う。この自己を大きくも小さくもできる比重の自由を獲得することが大切なのだ。山内は、その比重のひとつを覚えた(会得)、といえるだろう。ひとつ山を越えたのだ。

ここにはしばらく失われていた懐かしい砂の粒子がにじんだ都市のトーンがある。都市が闇の中に立ち上がってきて、やがて、まだそこに残っている最後の(人間の)生活を根こそぎ壊滅して、人びとはすべての物事とのジカの関係を失ってしまう、かつての60年代の東京を前に若い「眼の狩人」たちが表出させた、砂漠化する感性に相応したあの砂のトーンである。上海は(開発という)砂の都市に変質しつつあり、やがて楼閣として砂に埋もれるだろう。上海の砂時計に残された砂は少ない。そうした危うい砂のユートピア都市=異界への身体的感性が、山内の砂の映像に感じられる。なにより中国で一番活気に満ちた都市を、これほど異界の人たちに満ちた死に際の臨終都市のように見てきた眼の確かさを私は信頼に足るものと評価する。
(『アサヒカメラ』1995年7 月号より転載)

▲山内道雄(やまうち・みちお)写真集に『街』『人へ』。1987年から発表の場として、東京・四谷にギャラリー「プレイスM」を瀬戸正人と(後に森山大道たちが参加)共催する。