テキスト・アーカイヴ
■無題(初出:会報32号)
写真についての言説は、いま壊滅している。写真は、かつて一度も語られたりはしなかったのかもしれぬが、現在の、この国における写真にまつわる言葉はお粗末を通り越して、見るにも、読むにも、まして聞くにも堪えない。 なぜか?

ひとつは、言説を呼び覚ますほどの写真がない、生まれてきていない、からであり、言説をもって何かを表現しようという才能が、写真に魅力がなさすぎるために、立ちどまって、写真に対して言葉を紡ぐ努力をしよう、などと思わぬようになっているからであり、言葉を発する者たちは、あい変わらず、深まることもなく、ただオモテ面をなぞっているだけの写真にあたりさわりのない業界語によるいささか古ぼけた「知」的な修飾をほどこした解説をつけることで、商売にしていこうというだけのふやけたウドンのような食えない業界(やっとできつつある新参業界)に食いついている者が多いからだ。かつて写真評論という分野があったかどうかはどうでもよい。なかったってよいが、いま写真評論なるジャンルは存在しない。そういう肩書きの人間が幾人かいて、似たりよったりの読むに耐えない、つまらぬ駄文を書き散らしているが、評論などはしていない。第一論じうるべき問題など、いまの写真にはほぼ何一つないのに論評するなんていうこと自体ありえないのだ。批評もむろんない。それは写真に限ったことではなく、美術にも、映画にも、この国にはない。批評がない、ということは批判的存在がないということであり、要するにこの国の大勢に受け、受け容れられることだけをひたすら求めている「表現者」と自称する土産物製作者と、受け容れやすいよう値段の保証をするための解説をする土産物観賞の手引き作文者ばかりが、写真業界をつくり、一定の金を動かしている。

写真についての言説が、これほど手薄で、お手軽で、粗末であるのは、ずっと前からちっとも変わっていないが、かつては写真家の内から、評価に対する反発や不満が湧き出てくるエネルギーがあった。いまは、それもほぼない。写真家が評論家にホメてほしくて仕方のない、そうしてデビューし、ステイタスを得たい、という浅はかな魂胆さえ見えていて、情ない限りだ。

はっきり云って、80年代以降、写真はダメだ。一刀両断的にこんなことを云っても何の意味もないのであって、具体的に云わねばダメなんだが。いま、ここではそれはしない。いずれじっくり書いて「本」にします。ともかく、写真の会、という会は88年に生まれ、第7回の賞まで出してきた。まだ10回までは続けるつもりだし、場合によっては、もっと続くかもしれない。私はこの間4年ほど、会報も出してきて、そこに具体的な感想を書いてきた。「作家」という人から、内容についての激怒の手紙や連絡があったこともあるし、それで絶交を宣せられたり、二度と交わりをもたぬと云われたりした。随分小さな「作家」だと思ったが、どうぞご勝手に、という気分できた。そんな小さな「いやな気分」も、一貫して支えられている会員の方々やら、カンパをいただいて「会報」を読んでくれている人びとと年に一度受賞パーティーをして、その会の良い雰囲気ですっ飛んでしまったからだ。ホメずにケナした人の大半は、パーティーに来てもくれないのであの雰囲気が分からぬのが残念だが、作品を発表すれば、良いとこも悪いところもあり、批評というのは批判的思考からなされるのであるから、ホメることよりケナすことに主眼があり、欠陥を指摘することが役目だと思って書いている。作者の苦労や、一作にかける意気込みとか、そんなことは、作品の裡にある表に出さぬほうが良いエピソードの一つにすぎず、作品はそれ自体として評価されてしかるべきで、前の作や他人の作とも比較されて当たり前だし、まして評価しようが、しまいが、駄作とケナそうが、そこは、作品についてのことであり、このことを人と人の関係に直結させて云々するようなことは、小さいが、度重なると挽き臼ですりつぶされる感じで疲れる。もっと良い感じで他人に感謝されて写真と関わっていったら、もっといろいろチヤホヤ、得もしたろうとも思うけれど、そういう道はとらなかった。写真についてのことで経済をまかないたくなかった。だから会社にいて仕事をして金は稼ぐことにした。

『みすず』に5年間「映像時評」という連載に書かせてもらい、この内の最初の2年分は『暗闇のレッスン』という本にしてもらった。残った3年分の内の写真に関する部分を書き直し、あつめ、新たに「写真の終り」というタイトルの書き下ろしを加えて1年以内に『DISTANCE』という本にしたいと思っている。別に会報などに書き残された写真に関する悪口雑言集をまとめてみるつもりもある。 この書きなぐっている文章は、「会報」用の悪文であり、挑発のための文章である。一応今年は写真の会報に断筆宣言をし、『みすず』も止め、『放送文化』も止めて、整理してきたのであるが、ここにきて、一応これだけは書いとこうと思って書いている。 つまり「写真の会報」は私の私報であったわけでなく、会報なんだから、これから、鈴木一誌氏のパートナーの鈴木文枝さんが軸になって会報を続けてくださるということなので、最後の諌言的な挑発文を書きました。「写真の会報」を壊滅した日本の写真言説の元気回復誌として活用してください。もっと云いたいこと云いましょう。ザケンナよ、という文句も文にして送ってください。 

広瀬勉も、いつまで型録やってのかね。いい加減卒業なさいよ。最初の頃のおもしろさ(型)が全然なくなってきてるよね。金のムダだ、止めなさい、よけいなお世話だけどさ。こういう話でもいいから、ドンドン多元な発言、意見、反論書いてくださいな。少し楽しく読むのが待たれる「会報」にしていきましょう。これが私の最後の呼びかけで、反応がないなら、続けません。年4回発行ですから、4、7、10、1月が一応発行月ですから、前月中には鈴木事務所宛に送ればよいのです。FAXでもよいですよ。私宛じゃないほうが気楽でいいでしょう。 

私はいま、初老期うつ病、ノイローゼで薬を飲んでいて、糖尿病のため針灸に通っていて、ここが最大の決断ですが断酒しました。これから酒なしの人生を目指します。よろしく。心と体の病をもってやっと一人前ですが、論理はまだ通じますから分裂病ではないです。私と同様、日本の写真も病気です。だから何か断酒のような大決意をしなければオシマイですよ。

太田順一氏の『大阪のウチナンチュウ』(市井社)が今年中に本になるらしい。この出版社は社長が五行歌の主宰者で、私も会員です。『五行歌』という会誌が月刊で出ています。

柴田敏雄『TERA』(都市出版)は『日本典型』につづく写真集だが、私はこれには批判的である。いずれ、まとまった批評を書くつもりだ。子鯨が死ぬダムが美しいことは間違っている。死んだ子鯨にかわって、私は墓碑銘を書くつもりでいる。柴田氏の写真の質は、現代日本の社会と対面してあるから、そういう私の批判的眼がギラつくのである。世界性から後退した、ありもせぬ「私の内面」しかない写真なら何か書く気も起きはしない。だから、橋口譲二『ひと夏』は触れぬ。写真が巧く、キレイなら商売になるかもしれんが、批評の対象には十分条件ではない。橋口氏は或る「世界」の中に「自分の家」(周囲を包まれた場)を所有した人の写真である。柴田氏は、その家をまだ所有していない。探している。疎遠な世界へ退却しているのではないか。

とりとめもなくなろうとしている。松山巖氏も、短い感想でいい、書いてほしい。皆で少しずつ書いて「会報」を楽しくしてもらいたいな。頼みます。今号の鈴木・西川氏らの印刷技術からの写真評があってよい、という視点の試みに触れ、私は編集者という眼からの評があってよい、と思った。

私自身の立場について少し述べておこうと思う。私も写真にまつわる言説に関わってきたものの一人に違いなく、とりわけ『カメラ毎日』という雑誌を85年に休刊させてしまった編集者の責任を負うものである、ことは自認しているつもりである。「写真よさようなら」という題で『写真装置』に文を書いたこともあり、いまだにカメ毎休刊の過程について本当のところの気持ちもプロセスの事実も書いたりしたことはない。心のプロセスはまだ、私の内に持ったママでありたい、と思っている。ともかく、カメラ雑誌という雑誌の役割は、歴史的に終わった、という判断があり、新しい写真雑誌の必要を感じながら、私にはその力もなかった。そこで、私にしえたことは、しばらくの沈黙(逃亡)であり、その後、数人の友人(だった、と云わねばいけないのかどうか)と語らって、写真の会という小さな会を作ることくらいだった。

私的には毎日新聞を辞めて、新しいことをしようと思ったことがなかったわけではない。が、結局それもなしえず、毎日に残り、そこで飯の種を得ることとし、最初は後に『昭和二十年東京地図』にまとめるものの取材にとりかかり、足かけ3年、これに集中して仕事をさせてもらった。この間、つまり86〜88年の間は、ほぼ、写真の世界とは関係しないように生きたつもりだ。79年に50歳の誕生日に山岸章二さんが自殺された(今49歳の私にはやっと彼が同じ初老期うつ病だったのだということが実感的にわかってきた)あと、彼の仕事の残りのホンの一部を引き継ぐ形で(本流は山岸享子さんが継いでいる)、コニカギャラリー(日本橋時代)を中心にした写真展の企画や、PPSの写真展のいくつかを手伝うかたちで70年代後半から80年あたま、写真展活動に関わったことは事実であり、その後『日付のある写真論』『写真というメディア』という2冊の本を出した。

このあたりで、私はひとつの見極めを持っていて、写真とのおつき合いは、ここらで極力小さくしていこう、と思っていた。写真について書くことも、それが商売となるような時代になってくるに従って、そこから離れる方向に気分が向くという天の邪鬼の性格から、写真をおやりになる方々はそれぞれご勝手におやりになればいいじゃないか、もはや私共の知ったことではなく、業界ができつつあるのだから、お稼ぎになる方々がご自分らで担ったらよい、という判断で私は後方に退却して見ていこうという気分だった。80年代後半までそうだった。特に『カメラ毎日』をなくした後の気分では、写真に何か云える状態でないと思っていた。

写真の会は、既存の賞に対して、酒場で数人で話している折に、ザケンナよ、ナンデェ、ドウナッテルンダ、ということになり、じゃあオレ達で賞を出しちまおう、偉そうに思われたってイイじゃないか、権威もなく実力もなく、いいモン作った人(数少ない職人)と飲んで話をしたい。友人となりたい、というだけのパーティー志向、お祭り騒ぎ志向でいいから作っちまえ、という感じで写真の会はできちゃったのです。で、自分らが出した金なんだから、自分らが好きな、時代と向き合ってる作品を生み出している者(趣味=世界観を共にする仲間である)と会いたい、ということで始めたのだ。昔の日本写真批評家協会新人賞を意識していなかったわけじゃないけど、この会の賞の受賞作を見れば少なくとも1990年代の写真の真髄の一角はキチンとわかてもらえるハズだ、というくらいの自負は初めから持っていた。

この賞は権威はないが、自負には支えられているのだ。1回から7回までの受賞作をじっくり見て、本当に作品も見てほしい。想像してほしい。10回まで行けたら、記念展をしっかりやって見たい。多分90年代写真の現実が見えるハズだ。大きな見落としはないハズだし、推薦まで入れれば、私たち会員の眼は確かな部分をとらえていたと思う。これだけのことを、一人2万円の出資という小さな責任だけで支えてきたのだ。少なくとも1回でも2万円を支払い、会員になってくれた人たちを含め、会報購読者を名目にしてカンパを寄せて、賞金を支えてくれた写真家の幾人かの人たちも、私たち写真の会のやってきたこと、やっていることへの小さな支持の気持ちだと私は思っている。この会のしてきたことは大したことではない。1年間に集まる30〜45万円くらいの金を基金に1〜3人くらいに賞(金)を出し、賞状も出すということ、年4回ほどワープロの会報(10頁くらい)を出し80人程度に配ってきたことくらいである。すべてボランティア、無償の行為であり、会員の大半は、写真のまわりで金を稼いでいるわけでなく、写真とあまり関係ない仕事をしている人も多い。

写真で稼いでいる人たちは、何故か、呼びかけには無視で応じ、どうしてか(私の不徳の致すところだ)西井派(そんなものが写真にあるとは思われないが)と思われることを嫌って、近づくのも身の毛がよだつのか、パーティーに来ない人が多い。私は、私を嫌う人を憎むつもりはない(好く必要もない)が、私が一歩退くことで、他人が近寄りやすくなるなら十五歩くらい退いたってかまわない。しかし、会がにぎやかになって、活発になるなら、である。個人として、私は云いたいことは云っていきたい。私が会報発行の責任者でなくなり、賞の決定にも影響を及ぼさぬようになる(私の力が極小化すること)を誰かが望んでいるなら、私はそれに乗ってよい。私は小さな存在でありたいのだ。私は写真より映画のほうが好きで、写真が無くても生きていける。でも、人生の半分以上、写真と関わってきてしまったのだ(特にアノニマスな“歴史”を内蔵した写真群とつき合いが多い)。写真(家、にではない)には他より深い思いはある。知人も多い。最近は特に大阪の人たちと親しい。だから、もっと安心して写真の会に入ってほしい。たった2万円のことですから。もっと、こういう小さな会を心ある人たちで、写真の新根拠地、新しい運動への砦にしていくスペースにしていかないか。批評会をもっと定期的にやって、勉強会も有志でやっていこうよ。そのメディアとして会報を利用しようよ。私の最後の呼びかけです。これでもダメなら、もうこの国の写真と批評には、何の期待も持ちたくないと私は思う。私の勝手で。だからこの文の載る会報は、いつもより多く刷り、多くの人に送って、読んでもらいたいと思った。

★月に一回は写真に関する批評会をやろう(合評会)。
★写真と直接関係ないコトに関しての勉強会、読書会をやろう。年4回くらい、いい場所で合宿方式で(関西でやってもよい)。
★こういうことに関して事務局的システムを運営してくれるスタッフ(無給ボランティア)を募集します。
★あと20人限定で会員を募集しますので、先着順。金2万円払えばよい。

この4項を具体的に提案します。次の第8回写真の会は、これまでよりレベルアップしていきましょう。もうちょっと、みんな、少しずつ何かやり始めましょう。私の正直な思いです。