テキスト・アーカイヴ
■『クリスティーネ・フルヤ=ゲッスラー メモワール1978―1985』古屋誠一(初出:会報40号)
97年冒頭から始って98年に入っても、何とも名状しがたい多忙にとり憑かれ、古屋誠一の数々催された個展にもどうしてもいけなかった。行こうと思っても、ちょうどフランスへいっていたので自分のことに忙殺されていた。行けないなら行けないで、エッグギャラリーの楚々として気の良いオーナーをはじめ、詫びを入れねばならぬのに、案内状を積んだまま又、フランスへとって返すような状態だった。

古屋誠一を探すこともままならなかった。心当たりを探せば、見つけらることを知っていても余裕がなく、人に会うよりかは作品を見ればいいのだからと思いつつ動けず、とうとうこの本写真集の評というよりは、紹介をかねた文を書くことになってしまった。これまで、アサヒカメラや朝日ジャーナルで、誠一の作品については一文を草してきたが、正直いつもかきづらい。思いこみもある、思い入れもある、得も言われぬ感傷もある。誠一当人にしか分からぬ、いや当人にも越えられぬ深淵があって、ぼくの感覚などで一連の写真に迫れるのかどうか分からない。

97年10月半ばに、僕は4半世紀以上にわたって、文を書きながら同時に副産物として生み出された、ルーマニア北西微北の辺境の村々(土地の人は世界の中心と呼び慣わしている)の風俗をとらえた写真展をパリはシャイヨー宮内人類博物館で開くことになった。会期は5ヶ月のロングランである。博物館はパリ随一の景勝のトロカデロ広場にあり、セーヌ川をはさんで真正面にエッフル塔が屹立している。このあたりお上りの日本人観光客が必ずくるところであるが、旅行社の威丈高なコンダクターに引率されているので、あの人達は館の正面に掲げられた僕の展覧会の大きな垂れ幕を一瞥するかしないかに、あたふたとバスに乗って買い物に連れ去られる。

展覧会を開くにあたっては、国際交流基金に援助を申し込もうとするが、日本の芸術家が海外で日本の文化を紹介する場合に選考の対象になるといいわたされ、なるほどこんなものか、こんなものだろうとはじめからあきらめる。日本人などに別にこだわる必要のどさらさらないが、極東の島国からルーマニアの辺境に偶然に入っていわばヨーロッパの古層を探りあて、フランスで写真展をする。こんな展覧会を開くことに同意した、ヨーロッパのフランスの文化官僚、学者またフランスの精神の奥深さを散々のトラブル、曲折はあったものの、心の中で感謝しつつ反芻する。

ぼくは、ヨーロッパの農民の中世に淵源する風俗、習慣、人々のたくましい、その変わる面と変わらぬ面、あらゆるモメントをいつのまにか記録しようとしていた。ヨーロッパの人々の曽祖父の時代、いや、もっと昔の生き方、感じかたを、ぼく自身感得し、書いて、また、写そうとした。フランス側では、これをサンシビリテとスピリテュアリテ、エスプリ、なることばで意味づけをしようとする。また、このような生き方を物質文化に毒された現代の若者に見せ、早くいって回顧しつつ反省を迫るとのコンセプトもあったらしい。

ウィーンの大学教授はルーマニアの村には非常に深い精神が生きている、と問わず語りに語った。人が人らしく生きるとはどういうことなのか、人間、ほんとうのたましいを借えた人間とは何なのか、生とは?死とは?信仰とは?農牧をこととする人の得もいわれぬ表情のよさは何なのであろうか。ぼくは、毎年の微々たる原稿料、たまに印紙をすべてはたいている。百回以上も村に通って、通うたびに村の人々に心をつき動かされ、自分の感情をも表現しようとして、ついには、相手とかなり同化したように思う。相手、つまり、対象となる人、風景、風土、くらし全体。また、これは記録であって、失われる記録をとどめる行為、つまり、歴史作りに通じるのかも知れぬ。

写真をとる行為とは一体何なのだろうか。これは、誠一が実証している。クリスティーネと出会って以来、その不慮のできごとが起こるまで、多少間をおくことはあっても、彼は写真をとり続けている。それは記録である、歴史である、たましいのヴェクトルである。と追いつつ、この「メモワール」を、ほとんど思いつめ、ため息をついたり、時に微笑を浮かべ、リアルでありながらも、白い炎の如く昇華したクリスティーネを眺め、あるいは読んでみずからに問う。

クリスティーネに会ったのは確か2回、ウィーンの彼のアパート、マルガレッテン通りのアパートで食事をふるまわれた。誠一は人をもてなすのが上手で、まったく飾りがない。自己顕示欲があるかと思うとそうでもない。もし、あっても、さわやか、快い。口は悪いが、人をいやな思いに追いこまない。人徳なのか、気性なのか。あたたかいようで妙にさめていて、さめているかと思うとさりげなくあたたかい。幾分、自分勝手な所もあろう、頑是ない所もあろう。舌鋒は常に鋭く、人を切る。こちらはその正論に反論できない。文も達者である。深沈としてシャープな表現行為を見ていれば、文を書くのなど当然のことである。はじめ、右手を使ってジェスチャア入りで話しているが、ついで、左手も使って、早口で話し出す。誠一の二挺拳銃とぼく達は呼んでいる。

誠一は、語弊を畏れずいうなれば、空間恐怖にとらわれているかのようだ。ことばで空間をうめつくし、また、その視線は、あたりをつと睥睨し、視界をあっという間にかすめ取る。引きさらう。

クリスティーネは腺病質の自分の奥底を見据えているかの、陰影の深い面持ちで、つとめて明るく僕を接待してくれた。一、二度しか会っていないので、逆に印象が深まる。

マルガレッテン通りのアパートにさしこんでくる光、いつもけだるく感じられて、バスやら、人の話声、足音に、ふと我にかえる。そんな雰囲気の向かいの通りがクリスティーネとともに写し込まれているが、それは僕のたましいを、いたみを伴い突き動かす。知った光景である。失われた光景。僕は鏡と自分の間を思い出す。今や、写真の中の人物と化して、さらに、人々のたましいに生き続ける、抽象であり具象であるクリスティーネ。人々が在る、在った、というのはどういうことであろうか。在った、と在るをつなぐのは、記憶である。瞬時も忘れられない、身にしみた記憶。誠一は、あらゆるモメントをクリスティーネの写真によって表現しようと試みている。

写真をとる人間と対象の関係について考えたい。この「メモワール」は月並みな言い方、クリスティーネを撮りながら、実は誠一を如実にとらえている。主体という関係でありながら、時には主客が転倒する。入れかわる。また、主客が一致する。誠一はクリスティーネを撮ることによって、二つの心身を獲得する。

文の中で、波長が合って、撮ること撮られることに対して何ら抵抗がない、という一節がある。誠一の眼力、眼の力、視線をたちまち従えるレンズのような目にかかると、対象はそのまま彼の内部にしまいこまれる。

射すくめられるというのではない。相手は誠一のマジックの網にからめとられてしまう。主体があって対象があって、ついで表現がある。表現はまた、主体にもどる。永遠に尽きない循環運動。そして、情念の弁証法。二人の出会いは運命のそれである。誠一の本質なる世話焼き、やさしさ、クリスティーネの神秘の美、パトス…。

クリスティーネ、ありていに、彫刻のように楚々としたみやび。写真を偏年風に見て行って微妙な変化は見られるものの、彼女は、レンズに本当に抵抗を感じていない。レンズ、つまり、誠一の肉眼に対するかのように全くの自然体である。奇妙で当然な言い方、彼女は誠一と同化した完全な被写体となっている。

静かで、前述の如く、自らの内部を常にみつめるかのまなざし。洞察力があれば、人は他者に、それも真摯な人のまなざしに、外へ向かうそれと、内へと下降するそれを一気に読みとるであろう。誠一は、撮っても撮っても取り尽くせないから、相手を撮り続けた。何という愛情、執念情、勇気、心ばえ、また、作家としての自然な感情、愛情であろう。

時に、人を撮ることのおそろしさを知る。もちろん、通りがかりや、一寸見では、人は所詮、パサァ・バイで、何にも入り込めぬのである。上っ面をなぞるばかりである。ぼくは想像するに、誠一はクリスティーネの内から察する磁気にたちまち感応し、最初から思うようなイメージが陰画にやきつけられたのではないか。そう思わせるほど、クリスティーネは、真率で深遠で真実である。人を撮っても、仲々本質には近づけぬ。これは当たり前のことである。誠一は自身、強迫観念(オブセッシン)でもあるかのように、対象へと迫って行く。彼の写真を撮る時の構え、目の光が、これらの写真から生々しく感じられ、息もつけず、時にページをとじる。

お互いに一心に生きて、自らの相手の核に迫ろうとする。しかし、仲々分からない所もある。闇の部分がある。記憶が失われることはおそろしい。記憶を抹消することは恥である。罪である。愛情のある者に、忘却はむずかしい。誠一のたましいから一瞬もはなれられぬクリスティーネのイメージ、実体。ヌモワールは、フランス語では亡き人の思い出となるが、英語では、記憶のほかに、思い出す力の意もある。ぼくには、誠一の文字通り誠実なカメラを使っての記憶の力が感じられる。彼は、全身で不可解にして一見明快で混沌の対象へと向かう。

先年、誠一の住むグラーツへ行った所、意外なことに、一緒にベニスへ行こうという。ぼく一人、カーニバルに参加したくてかの地へ向かおうとしていたのだが、突然の申し出に内心面食らって、一体、何が彼をベニスにつき動かしたのだろうとひそかに考えた。しかし、何も問わなかった。余計なことは聞かぬがいいし、干渉がましいことはきらいだからである。

二人、ヴェネツィア、サンタ・ルチア終着駅に降り立ち、サン・マルコ広場へ行き、途中、方々のカンボで、橋のたもとで、仮面をつけたイタリア人や、とびこみの外国人の姿を写真に収める。きっと、誠一の心には何かがあるのだろう。会うと、いつも軽口を叩いて、話をするのが常であるものの、一方、彼をいたいたしく思う気持ちもあって、ぼく自身、つらい感情にさらされるのであるが、彼は安っぽい同情やセンチメンタリズムなどはねつける強さもある。

作家精神と生身の人間のあいだを時にははげしくゆれ動くこともある。シャイで強情でひたむきな男が、仮面に向かっている。乳白色の海に鈍色に反映する陽光を督見している。僕は、ベニスに来ると、いつもさまざまの負の想念を描く。無表情と一見とれる仮面の悲しさ、仮面の裏の顔、心情。ベニスへ一緒に行こうと急に言い出した誠一の心情は、今度の写真集で分かった。

彼の視線となおただようクリスティーネの視線、視界、交わり又ベニス、カーニバルの光と色の散乱、音、モノクロの写真はすべてを語る。人の命、魂を映し出し、自分のそれをひたむきに重ね合わせ、はては一体化したと見られる。これは正に情念の書で、文字をとうに超えイメージは昇華して、時空を同じにしたのである。人生は劇場であって舞台であるとするならば、クリスティーネはいささか演劇性をおびて我々の前に立ち現れる。

それにしても、生とは何なのか、生を先取りして安らぎを覚える?またある詩人のハラのように、うまれることも死ぬことも人間への何か遠い復讐なのか。この世に業があって煉獄あってシャングリラはあるのか。ともかくこれ程、美しい写真集を、20世紀に僕たちは何冊持ったことであろう。

忘れてはならぬこと、記憶の大事さ。失われた空間も呼び出して、また魂を在らしめるという行為を誠一は写真で試みているわけであるが、僕は、キャプションにさらに自分の言葉を付け加え、ギリシャの褒め歌を時に唱えつつ、誠一の写真を真剣に見るというよりは省察して、彼の心情にいくばくなりと近づこうとする。

記憶は喜びを伴うというのは比較的少ない。むしろ、悲しく、ついには愛しさへとたどりつく。文中、安易に、昇華、カタルシスなる語りを使ったが、これは、言葉のあやである。久しぶりに誠一の結句特殊にして普通である、極限の精神世界に感じ入って言葉もない。