テキスト・アーカイヴ
■『この星』に見たもの│野口里佳写真集『この星』/写真展「飛ぶ夢を見た」(初出:会報55号)
野口里佳の写真集『鳥を見る』(P3発行/河出書房新社発売)を見た時にふと思い出した映画のシーンがあった。1984年の小栗康平脚本・監督の映画「伽耶子のために」の最後のシークエンス、主人公の若い男女が何かの音に気づき、地面に耳をあてる。ふと見ると、深夜ひとり、道をゆっくり歩きながら時々立ち止まり、地下の砂をはじく水の音を長い金属製の探知機で確かめる男がいた。その漏水調査員が向こうに消えていく様子を描いた、透明感のある印象的なシーン。その歩く様子がどこか別の世界の人のように見えた。そこに地球と交信している人の営みの不思議と尊厳のようなものを感じたのだ。そんな人と風景の静(聖)寂なイメージを野口の写真から受けたのだった。

「果たして月に行けたか?」

写真が科学的、光学的実験と錬金術的発展として生まれ育ったように、野口の写真は「理科系の文学」ならぬ「理科系の写真」を思わせる。とはいっても20世紀終盤に再評価された所謂、定点観測的、地勢学的写真とも一線を画している。そこが野口の作品の固有性でもある。宮澤賢治が物質的想像力をもって鉱石から宇宙をイメージしたように、その作品から放たれる詩的表現は決して感情に流されることなく硬度を保ちながら数学的クールさを持っている。自然科学の客観的世界を内包しているように思えるのである。

たとえば夜空を眺めるとしよう。満天の星、青い光と影を抱いた月を見ながら詩人は詩をよむだろう。おそらく野口であれば、まず、どうやって月にいけるかを考え、実際、飛行訓練を受け、もし行けるとするなら見ることのできなかった月の裏側へ行き、自身で月面をそして仲間の宇宙飛行士を撮影するに違いない。

1969年7月20日にアポロ11号とその乗組員が月面に立ってから35年後の現在火星探査機「オポチュニティ」が火星に降り立ち活動している。無人の探査機はロボットアームと呼ばれるハイテク機械を巧みに使いながら、火星の石の成分の解析をし、地球にそのデータを送り続けている。かつては火星に水があり、生物が住んでいたとの情報もある。アポロは人が月に行き、石を持って帰ってきた。火星ではロボットが宇宙の謎を解く鍵を握っている。そして、NASAの計画通りに進めば、2030年には人を乗せたロケットが火星に向かうという。その時、野口は火星に立っていることだろう。

天の川を「潜る人」

野口は月面=フジヤマに降り立つ前の1995年、「宇宙飛行士」を見た。酸素ボンベを背負い、ウェットスーツを身にまとった潜水夫の様子は宇宙飛行士を彷彿とさせる。月に行くヒトのような潜水夫はそのまま東京湾の中に消えていった。日常を超越したようなその後ろ姿に引かれ、ダイビングの練習用プールでの撮影がスタートする。この時撮った最初の写真が野口のその後の作家としての方向づけをした一枚と考えられる。「潜る人」はまず、月に向かう人物の後ろ姿を追うようにして撮影され、潜水夫が未知の空間へ吸い込まれていき、水中で舞うというドキュメントだ。『潜る人』に写る人物は誰でもないヒトであり、プールのなかは何処でもない場所である。例えば潜水夫を私、プールを天の川と置き換えてもおかしくない。また、重力の違う世界で遊泳する潜水夫は無重力空間に浮かぶ宇宙飛行士のように、見る側の平衡感覚を麻痺させる。月面をのぞき込むように撮影されたこのシリーズは最終的にモノクロで仕上げられており、夢の中の世界のように沈黙と異空間に支配されている。また、最後の潜水用プールの底面の写真は誰もいない星の表面を宇宙船から撮影したようにも見える。各作品の黒い縁どりは窓枠を隠喩し、作家がまだ、月面に立つことができず、「宇宙飛行士」を窓から覗いている状態を象徴しているように思えるが、この地点で野口は月への旅の入口に立ったといえる。

2001年野口は、スキューバダイビングの免許を取得したのち沖縄にある海底遺跡の撮影に出る。このシリーズ『星の色』では水中写真でよく見かける南方の海に住む色鮮やかな魚や水中の植物は一切登場しない。海面近くの鮮やかなブルーが水中では濃い蒼にかわり、海底の遺跡は海の苔等の緑に覆われて深い青緑になり、その歴史の影をおとしている。かつて陸にあって栄えただろう石や巨大な岩で造られた都市の残影があるのみだ。そしてまるで宇宙飛行士が地球外生物がかつて生きた歴史の痕跡を覗き込むように、遊泳しながら撮られている。

宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』でカムパネルラとジョバンニに語る先生の言葉で天の川に触れる部分がある。

「ですからもしもこの天の川がほんたうに川だと考へるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもっともっと天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳の中にまるで細かにうかんでゐる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云ひますと、それは真空という光をある速さで伝へるもので、太陽や地球もやっぱりその中に浮かんでゐるのです。つまりは私どもも天の川の水の中に棲んでゐるわけです。……」つまり、これはマクロコスモスとミクロコスモスの収縮と膨張による交換を意味する。夜空の遥か向うの天の川=星雲を眺めている私は、実は天の川の中に棲んでいるという宇宙のからくりを野口は直感したのではないか。賢治は「春と修羅」においても天空と海との神秘的交錯を描いている。

月面としての「フジヤマ」

野口本人が遠視眼的傾向があると言うように、たとえば野口の写真に写る人物は2002年の作品『マイナスの世界のこと』の北京の寒中水泳をする人々を撮った、数カットの例外をのぞき、風景の中の一部として遠景のなかに小さく存在する。したがってヒトという被写体を通して世界を表現するのではなく、不必要な物語を排除しながら、ヒトと世界を相対化しているように思える。コンセプトに頼りすぎることなく、しかし作家としての視座に一貫性がある。1997年から開始された『フジヤマ』を例にあげよう。『フジヤマ』に於ける富士山は通常、イメージするそれとはまったく異なる。日本の象徴としての富士山でもなければ、時に雪や雲を戴いた、画題となる優美な山でもなく、ご来光に輝く宗教的な意味合いを持った霊峰でもない。そういった象徴性から解き放たれて、極めて物質的である。よく見ると岩や石がごろごろしている尾根にヒトが立っている。日本画的構図と遠近感を持った写真では確かにあるが、その硬質さと透明さは「非日本的」なものである。「非日本的」ではあっても決して「西欧的」というわけでもない。フラットに開かれているという言い方の方が正しいかもしれない。写真も『フジヤマ』というタイトルがなければその場所を特定することは困難だ。また「フジヤマ」と片仮名で表記した理由はこの場所の既成のイメージを払拭する必要があったからだろう。ヒトの営みの神秘と崇高さに対する野口の感受性は、その写真の前に立つ者にも、初めて月に立ったようなイメージを喚起させずにはいられない。それは、ヒトが生まれて自分の足で立ち、ひとつひとつ新しい世界を発見していくことの不思議と歓びに近い感覚と言えるかもしれない。あるいはいつか見るだろう世界、「何処でもない場所、誰でもないヒト」を現前させてくれるような感覚。野口はフジヤマに月面があると直感し、何度も足を運ぶことになる。

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