テキスト・アーカイヴ
■関 美比古君のこと(初出:会報52号)
選評は「選評会報告」にかえさせていただき、今回の受賞者の関美比古君のことについて書こうと思う。といっても実は私は関君について殆ど知らない。

昨年(2001年)11月25日西井一夫が亡くなる半年程前の同年3月29日未明、撮影旅行中、関君が乗ったドイツへ向かうバスがポーランドの北西部ウォムジャ近郊で事故に遭い、彼は翌日息を引き取った。享年30歳であった。関君は1994年から毎日新聞社出版写真部の契約カメラマンとして働き、翌年1995年の阪神・淡路大震災では毎日新聞社のスタッフとして現地を取材し、以降6年間に渡り神戸の街の定点撮影を続けた。この仕事の成果が「神戸市街地 定点撮影1995-2001」(毎日新聞社)としてまとめられ、今回の写真の会賞の受賞の大きな理由となった。彼を西井が毎日新聞社の出版写真部に紹介したのであり、また1996年から1997年にかけて西井の写真塾の生徒でもあった。二人がお互いどう相手を見ていたか、感じていたかは判らないが、少なくとも西井は関君のことを「性格が良く、写真もうまい」と思っていたようだ。

私は97年9月、塾の最後の合宿ではじめて関君の写真を見た。殆ど言葉をかわすこともなかったが、当時25歳の若者がこれまで撮ってきたにしては余りにも冷めた、硬質でしかも静寂な写真群にいささかの戸惑いを禁じ得なかった。彼が子どもの頃過ごしたモスクワや東欧に旅行した時の写真だった。が、私は同時に被写体との距離感と写真全体をおおう空気感に親しみを感じていた。関君の写真を見ながら、この人はそこに写る人間に対する興味以上に、目の前にある風景を作り上げた目に見えぬ人々や歴史、風土、文化の方に興味があるのではないかと思えた。それは思考を通り越して、肌で感じるもの、記号化されることなくこころに響くものなのかもしれない。もちろんこれは勝手な想像でしかない。

作家は大きく分けて二つのタイプが存在するように思う。大きく白いキャンバスにあらゆる色をほどこし、限りない拡がりを求めるタイプ、そしてもう一つは、固い塊を前にして自己の中心に向かうがごとくノミを打ち続ける寡黙な求道者のようなタイプ。関君は敢えていえば後者のように思えた。旅という、いわば自己を解き放つベクトルを持ちながらも少年時代の原体験を支えに自身のアイデンティティーを探るという緊張感の中に身を投じた結果が写真ではなかったのか。否、写真が彼を永遠の旅へと導いたのかも知れない。印象でしか語ることはできないが、繊細でありながら、口には出さぬが青い炎のような思いを内面に秘めた、孤独を知っている青年だと思った。関君には「黒」のイメージがあった。黒は三原色をすべてを溶け込ませなければ生まれない色だ。これからたくさんの色を体験し、自らのものとするはずだった。そして黒はますます深みを増したに違いない。私が関君とかわした言葉は一言だけだった。「なぜカラーは撮らないの?」答えは意外にも経済的理由だった。しかし、たしかにそうだった。彼と同じ年齢の頃の自分の生活を想い起こした。

今、写真集「carnation」を開いている。彼の死後、親しい友人たちによって編まれた写真集だ。32頁から35頁にかけての4点の写真は彼がモスクワで暮らしていた頃、1980年から81年にかけての、小学校の中学年から高学年あたりの時期のものだ。日本人学校の写真クラブに入り、父親にせがんで買ってもらった、当時発売されたばかりのニコンEMで撮った写真である。異国の土地柄、文化に興味を抱き、目を輝かせながら一心不乱にモスクワの街を撮りまくっていたと言う。最初の一点は5、6階建てのビル、おそらく公館であろう、初冬の11月、地面や隣の建物には雪の跡があリ、憂鬱な季節の雰囲気がよく出ている。アングルからしてビルの4階あたり、当時住んでいたアパートの窓から撮ったものだ。二枚目は車の中、後部座席からフロント硝子ごしに見える街を写している。前の左座席に運転する父美英氏が写っている。関君はまだ背が低かったせいか、窓から見える風景は仰角となって、左右の大きな二つのビルだけが逆光のなかで浮かび上がっている。三枚目は夕日を浴び、子犬を抱きかかえた女性と子どもたち、そして数人の男女が写っている。おそらく子犬が撮らせた写真に違いない。そして最後4枚目は車の中から撮った、通り過ぎるトロリーバスの写真である。背景にはレーニン図書館と古典様式の立派な建物が並んでいる。モスクワの中心街で撮られたものだ。こうして写真を見ているとカメラを持ったばかりの、しかも少年がファインダーを通して知ることになった新しい視覚の発見とその喜びが伝わってくる。高所からの撮影、車の中から見た動く風景、光の発見、空気への感知と反応、動物や乗り物に対する被写体としての興味。技術的な未熟さは別にしてすでに関君の写真の原点をここに見ることができる。

この本のタイトルにもなった写真展のシリーズ名「carnation」はどのような意味を含んでいるのだろうか。彼が愛した花だったのか、あるいは映画「市民ケーン」のラストシーンの「薔薇のつぼみ」のように何かを象徴するものだったのか。花といえば「神戸市街地 定点撮影1995-2001」の最後に「神戸についての覚え書き」という関君の文章に次の一文があった。

《……焼け跡が更地になり、コスモスの花が咲き乱れている。誰がこの花にコスモスという名を付けたのか。皮肉。ボランティアの青年が言っていた。「この震災に何も感じなかったら人間じゃない」と。何も感じなかった人に会いたい。……まだ何も終わっていない。廃墟を美しかったと思うことも無かった。自明のことなど何一つ無いという自明を思い知らされた。闇夜をペンライトで照らしながら歩くように、神戸に通い撮影を続けている。全体は視えない。神戸の街も私も変容し続けている。》

今、想い出す。関君と共にした写真塾の最初で最後の合宿。庭には凛と立ったコスモスの花が初秋の風に吹かれながら静かに揺れていた。