テキスト・アーカイヴ
■写真の会活動報告(初出:会報45号)
前年、写真の会賞の選考会の際、賞の候補となった作品の作家の方々の中には、作家本人の横顔やその活動についてよく知らないという人もいた。そこで、受賞にはいたらなかったが、直接本人と会って、その具体的な活動、作品発表に至るいきさつ、考え等を伺う機会を設けようという話になった。その後、第一回目として昨年6月5日に「doto」の高田彩さん、また、8月20日には「TIDE」の編集者である浅野文宏さんをお迎えしていろいろ話を伺った。

高田さんについては、連絡をとるまで、その作品からも年令、性別、発行元など(そんなことはどうでもいいことだが)謎の?点も多く、お会いして20代の女性であったことはその硬派な仕事ぶりからすると意外あった。高田さんが発行している「Area」というシリーズ、いわば写真ペーパーは、発行部数500部、A全サイズのマット系のコート紙を八折にしたもので、片面モノクロ写真を全面に、もう片面はカラーまたはモノクロ写真を複数印刷というのが基本設計であり、ポスターとして使うことができる。

賞の候補になった「Area-3」のdotoは道東、つまり北海道の東側のことであり、港につけられたロシア船のモノクロ写真のザラザラした粒子の質感が、もし日本だったらもうとっくに廃船になっているはずの、今にも崩れ落ちそうな船体と厳寒の道東の緊張感のある空気を見事に表し、迫力のあるものに仕上げていた。森山大道氏を彷佛とさせる表現だが、そこのところを伺うと、じつは高田さんは東京ビジュアルアーツ専門学校出身で森山さんの直接の生徒ではなかったが、本人曰く、半ば強引に作品を見てもらっていたという。森山さんのアドバイスは素晴らしく、写真家として、また人間としての尊敬の念が高田さんのことばの端々から伺い知ることができた。そのアドバイスもあって、20歳の時に四ッ谷のプレイスMでカラーコピー300枚を貼った写真展を開くことができた。

北海道以外では、これまで竜飛岬、三沢、ニューヨーク、ハワイ、パリ、ローマなどに行って撮影し、最新の「Area-4」では4月のパリ、ローマの写真が組まれてある。どこを撮っても対象との距離感をもったさめた視線が特徴だ。ただ、他の出席した会員と同じく感じたことは、このまま非日常である旅先での撮影をいつまで続けられるのかといったことだ。絵になってしまう場所というのはあるものだ。自分の日常、身の回りを撮ることには興味がないということだが、この先もし、遠く撮影地に向かうことに限界を感じたり、興味を失ったりしたときの次の段階の作品も見てみたい気がする。それから高田さんの写真の秘密を暴露するようで申し訳ないが、使用するフィルムはすべてネガカラーである。移動しながら撮影するひとには特に合理的で無駄がなく、今のところ、モノクロの印画紙に焼きつけて作品化することには問題がないようである。というよりは高田さんの今の写真のテイストを表現するにはむしろ合っているといえる。

この「Area」のシリーズがいつまでつづくか本人というか未来以外だれも知るよしもないが、出来る限り続けていっていただきたい。このような独自の形態、ピンポイントの発送方法は貴重である。こうした自主的な活動を続けることが困難な時代の中だからこそ、頑張っていただきたい、と勝手ながら思うのである。



第二回目には「TIDE」の編集人である浅野文宏さんをむかえた。「TIDE」という雑誌について知らない人のために雑誌ができるまでの流れを浅野さんの話をもとに手短に紹介しよう。

もともと発行人である新潟市在住の野瀬山功さんの発想によって生まれたもので、写真界の若手やドキュメンタリー写真家、発表の場に困っている作家達を紹介し、商業ベースに乗らない写真作品をみせる場が必要であるというところからスタートし、それから創刊までのの5年半くらい話を寝かせていた。浅野さんは当時勤めていた会社をやめ、印刷業界の業界紙をつくる会社に就職、そこで印刷、出版に関する経験を積み、あらためて野瀬山さんにそろそろつくりましょう、と声をかけた。それが’98年の3月。同年11月に創刊号を出すに至った。

大体5年半も話が生きていたこと自体が驚きだが、それも浅野さん、野瀬山さんの写真界に対する危機感が持続していたからだろう。“新時代ペーパーギャラリー”というキャッチフレーズのついた「TIDE」はA4判40頁、中とじの写真雑誌で全頁一色、毎号写真家を二人づつとり上げ、その作品を各々10ページ強ずつ紹介している。巻末には連載のテキストと各写真関係のギャラリーのスケジュール案内がある。発行部数は3000部で隔月刊。創刊号から7号まで、順に写真家の名前をあげると、安島太佳由、宇賀神朋子、菅佐原智治、北村大輔、上山益男、亀山亮、池上直哉、櫻井靖子、百瀬俊哉、内山英明、朴銀順、エドワード・レビンソン、六渡達郎、安友康博とつづく。モノクロ写真を中心に活動しているドキュメンタリーの写真家が多い。スミ一色にしてはインクのノリも含め、かなり良い印刷だ。この雑誌をつくるにあたってのコンセプトは写真家の経験やネームバリューではなく、自分達の眼で良いと思える写真家、作品を選ぶこと。売れることを第一に考えず、最初の動機を大切にすること、勿論、結果的に売れることは喜ばしい。と言うことを聞いても果たして本当にやっていけるのかどうか私は心配でならなかったが、新潟市にある印刷会社を母体として一定枠の資金を確保し赤字に当てているとのこと。たしかにモノクロは低コストで済むし、なによりも母体が印刷会社である。それに本をつくる側とすれば印刷現場の人達と言葉が通じるということが最大のメリットであろう。また母体である会社はPR誌として考えているわけでもなければ内容に対して関知もしない。話は出来過ぎているが、この“現代の奇跡”がうらやましくもあった。

それから数カ月経ったある日、浅野さんから一通の知らせがとどいた。「TIDE」が休刊になるという。それはないよ、と思った。確かに夢のような話だったが、せっかく空高く舞い上がろうとしていた飛行船が落ちてしまった、そんな感覚に襲われた。が、救いは浅野さんが個人で「TIDE」を続けていかれるということが書かれてあったことだ。いつになるかわからないが、態度豹変ならぬ、あたらしい「TIDE」を見せていただきたい。あの、5年半の思いがあったのだから。



2000年1月20日「写真の会」の会合が本郷三丁目で開かれた。参加者は伊勢功治、菅原朝也、鈴木一誌、西井一夫、西川茂、深川雅文、矢野恵二の7名。話し合われた内容は主に、発行が遅れ気味の会報をどう円滑に出していくか、ということであった。そのための年間のスケジュールを編集会議を含め、明確にすることになった。会報については、年4回を目標にし、1月、5月、9月、11月に発行する。したがって、原稿の締め切りもおのずと決定されることとなり、各発行月の前月、つまり12月、4月、8月、10月の各末日になった。皆さんふるって原稿の投稿をお願いします。尚、編集の全体会議は5月、9月分は4月に、また11月、1月分は9月に行うことになった。2000年がスタートし、前年の世紀末的な憂鬱と喧噪から解放されたかのような気分のなかでやや筋肉と精神が弛緩気味です。身を引き締め直し、新たな気持で会報を編んでゆく所存。御協力をお願いします。