テキスト・アーカイヴ
■『トオイと正人』出版の瀬戸正人さんに聞く(初出:会報41号)
生井:タイのヴェトナム人社会というのは北部ヴェトナムの出身者が多いんですか。

瀬戸:そうです。だからわりと頭がよくて働き者で。タイではいまでもヴェトナム人はいろいろ差別があって、医者にはなれないし床屋もだめ。あれ、なんでですかね、剃刀使うからかなあ。だから大抵は市場で商人やったりするんだけど、その場合も商売上手で店を大きくすることが多い。

生井:ヴェトナムは南北に細長くて、北部・中部・南部で気質がかなり違うと言われますものね。でも、そういう経験をしながら文章書くことなんてなかった?

瀬戸:もう全然。書く機会もないし、書く気もないし。初めて書いたのは87年に『バンコク、ハノイ』っていう初めての写真集を出してもらえることになって、その後書きを十枚ぐらいかな、とにかく必死で書いた。楽しかったですけどね、自分のことだし、書いてるうちに、ほら記憶が蘇ってくるじゃないですか。それで……2年前かな、丹野(清和)さんから、あのときの後書きを読んでてくれたんで、『アサヒグラフ』に家族をテーマにした連載をやらないかって言われた。聞いてみると一回二十枚っていうから、そんなの書けないですって言ったんだけど、十枚書ければ二十枚は書けるから、書き方は教えてやるって言われて。それで1月から始まる連載を、その前の10月から書き出さないともう書けなかったら心配でしようがないんで書き出して、やっとできた。だから連載が始まったときはもう3回ぶんぐらいは溜まってましたけど。

生井:そのときの第一回は、この本(『トオイと正人』)の初めのところですか。

瀬戸:えーと、そうですね。それは大体そのまま入ってる。だから慣れないんで大変だったけど、面白かった。それからは締め切りの十日前になると書き出して、親にいろいろ聞 いたりして。そうするとだんだん家の家系譜というか、そういうものができあがってくるんですね。親も改めて確認したがってることだし、妹はどういうふうに覚えてるかとかいろいろ訊いて、家全体の共同作業みたいになってね。

生井:物書きのひとりとして言うと、この本にはなんとも仰天させられました。内容も無論そうなんだけど、もうひとつ文章がね、実に形容しがたい響きを持って染み込んでくる。具体的に言うと、たとえば第1章のところはごく一般的な旅行者の文章だと言ってもいい。異国の都会の夜の底に沈んでいるようなちょっとロマン・ノワール風の感覚というか。ま、端的に言うとぼくらでも書ける。でもそのなかにも少しずつ、目の前の風景と昔の時間が二重になってゆくような気配が滲み出てきて、瀬戸さんの家族それぞれの話が時間を行ったり来たりしながら語られるようになっていくなかで、長いセンテンスが増えてくるんですね。特に自分自身の記憶と感覚を描くようなときに構文のなかに副詞節がたくさん入ってくるようになる。そういう複文はふつうは読みづらいはずなんだけど、全然そうでない。これはやっぱり文章全体に響きがある、というか、つまり声に出して音読するのを耳で聞いてすべて通るということなんだと思うんですよ。英語でよく「トーンがある」っていう言い方をするんだけど、つまり喋る内容だけでなく、喋る言葉の響きの力に魅了されること。それがね、どこから来てるんだろうって……。

瀬戸:いやあ、自分じゃわからないですよ。小説なんかもほんとに恥かしいぐらい読んでないし。まあ中上(健次)さんとか開高(健)さんのヴェトナムものとかは読みましたけどねえ。

生井:単なる連想だけど、ぼくは三浦哲郎の『拳銃と十五の短篇』という短篇集があって、その響きをなんとなく思い出しました。でも読んでないよね。

瀬戸:読んでないですねえ(笑)。でも写真て、けっこう文章と近い感じがするんですよね。見るとか描写するとか。コマーシャルの写真は着地点が決まっていて、自分がなにをやるかわかってるんだけど、スナップショットの場合は着地点がないから、撮りながら探すでしょ。どこに行くかわからないし、どこかに連れて行かれたいみたいな。そういう先のわからない面白さが文章書く場合のと近いかもしれない。

生井:撮る側にとって写真は明らかに記憶と深い関わりがあるわけだし、『トオイと正人』はそれ自体が記憶を尋ねてゆくことによって、写真行為そのものと関わっていくで しょ。ただ、その一方で見る側にとって写真は、それほど多くを語ってくれないことも ある。少なくとも撮る側との記憶の共有を写真だけで果たすのはね。これは西井(一夫)さんも同じような意味のことをどこかで書いてたような気がするんだけど、写真は 言葉を得ることによってやっと他者との絆になり得る――というか、すべての場合でないとしても、少なくとも写真がまったく未知の他者との絆になるときの言葉の力は大きいと思うんですね。というのは、たとえば『サイレント・モード』のシリーズは、『トオイと正人』の世界とはべつのところにあるものですよね。

瀬戸:そうですねえ。自分のなかではなにかつながってるかもしれないけど。

生井:つながってるかもしれないけど、自分でもわからないし、ぼくらがそれを言葉にしたとしてもこじつけとか深読みになりそうなね。『トオイと正人』があることによって、写真家・瀬戸正人のトオイと正人をめぐる固有の世界は、これですべての写真が誰にも深く受け止められるものになったと思う。ですけど『サイレント・モード』の世界 のほうは、まだそうでないかもしれない。ぼくはあのシリーズが好きだから特にそう思うのかもしれないんですけどね。

瀬戸:アメリカの人たちに『サイレント・モード』を見せたらけっこう興味持ってくれる人もいるんだけど、肖像権のことをすごく心配するんですよ。

生井:それはたぶん、それこそ82年か86年ごろだったか、アメリカの雑誌の表紙にニューヨークの街頭で偶然撮った人物のスナップショットが使われて裁判になった事件があるんですね。写された側が肖像権の侵害を申し立てて。で、結局雑誌の側が負けてしまって、それからアメリカではものすごく敏感になった。昔もウォーカー・エヴァンズの地下鉄の窃写ポートレートのシリーズなんかはなかなか発表されなかったぐらいだけど、いまは撮ること自体ができなくなってるようなところがありますからね。

瀬戸:そういうことだったんですか。エヴァンズの時代はまだレンズも暗くてなんとなく雰囲気っぽく写ってるのもあるけど、現代のカメラはずっとシャープになってるから、 もっとクリアに見せたいというか。そのへんのことを『サイレント・モード』でもっとやっていきたいと思ってるんですけどね。

生井:『サイレント・モード』の世界は、言ってみれば『トオイと正人』の固有性の世界とはべつのところにある。写真は確かに記憶と深く関わったものなんだけど、それとは べつに事物をあばいて、無意識を蹂躪するようなところもあるわけでね。『サイレン ト・モード』の主題がすべてそうだということじゃないけど、やっぱり瀬戸さんという人の存在のなかにトオイと正人という二重性があるのと同じように、あれは写真を撮るという行為のなかの二重性に関わっているものでもあるだろう、と。

瀬戸:そうですねえ。写真が写真としてだけ成立する世界というのを見せたい、みたいに思うんですけどね。

生井:ひとつ聞き忘れてたんだけど、瀬戸さんはタイ語の読み書きはできるんですか。

瀬戸:書けるんですけど意味はわからない。

生井:・・・?

瀬戸:書き順とかはすらすら出てくるんだけど、意味はわからない。だから読めない。

生井:なるほど。でもそういう意味じゃ、誰かが『トオイと正人』を読んで「越境する写真家」なんて言ってたけど、越境ってのは不思議なものだな。

瀬戸:まあ、ぼくは越境しつづけたいというかな。『サイレント・モード』なんかも写真の越境とか。

生井:あはは、それはキャッチフレーズとしてはわかりますね。ただ越境というのは、ぼくらなんかの育った時代だと、瀬戸さんもそうでしょうけど「越境入学」とか、なんか後ろめたいような響きもあるでしょ。

瀬戸:ありますねえ。

生井:あれを忘れたくないというか。「越境」というのはどこかロマンチックなイメージで、だからいま流行語みたいになってるけど、そういうロマンチシズムにあんまり簡単に行ってほしくないなと。そんなことを思うんですけどね。

…………1998年9月17日/東京・四谷「プレイスM」にて


瀬戸正人[せと・まさと]
1953年タイ国ウドーンタニ生まれ。
1989年、写真集『バンコク、ハノイ』で日本写真家協会新人賞受賞。
1996年、写真展『Silent Mode』『Living Room 1989-1994』を中心とする制作活動で第21回木村伊兵衛写真賞を受賞。
1997年、『アサヒグラフ』に1年間連載した「家族」に大幅加筆した著書『トオイと正人』が、98年9月、朝日新聞社より刊行された。